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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その4 

‖ 一般論と俗論

前回の冒頭部分での引用文(2つ)の話になりますが、たしかに河合先生がおっしゃるように、一般論としては原発反対派は左翼、共産党(もしくは社民党)である、というような見方が社会通念上は通用しているように思います。原発に少しでも批判的なことを言えば、「お前は社民か共産党か」みたいなリアクションをされる方は、何もネットに限った話ではないのでしょう。

しかし、一般論としては「反(脱)原発=社民党・共産党」であるとしても、これは歴史的な事実関係から見れば明らかな俗説であり、全くの事実誤認(今回はこちらの記事の続きという位置づけでもあります)であるということは一言述べておかなければならないと思います。

社民・共産の両党は、原発事故が発生して以来、「一貫して原発反対の老舗政党」をPRして、それが一般有権者からの再評価を得ているという側面もありますが、俗論を嫌う「冷やし狸庵」としては、記事の進行上、これら「老舗の虚像」についても触れておくべきだろうと考えます。

そのようなわけで、以下に社民党(旧社会党)、共産党が戦後の原子力政策・平和利用とどのように関わってきたのかについて、簡略化、要点を絞った形ではありますが、私なりにまとめてみたいと思います。今回の話題は詳しくやると、とうてい10回程度では収まらないので無理ですw

‖ 社民党(社会党)はもともと原発推進政党

社民党は、例えば公式サイトなどを見てみると、「唯一、脱原子力の立場を明確にしている政党」であると公言していますが、私にはこれがどうにもよくわかりません。

そもそも、日本の原子力政策の要、言わば憲法としての位置づけに相当する「原子力基本法(1955)」は、社民党の前身・社会党の協力によって成立したものです。

こちらについては、「法案作成のために中曽根氏らが海外視察をして、毎晩ホテルでステテコ姿で缶詰になって喧々諤々の議論の末に・・」という有名な話がありますが、こちらの「ら」というのは、当然社会党の議員(松前重義・志村茂治氏)も含まれるという意味ですね。

実際に当時の国会議事録を調べてみると、社会党は原子力の平和利用を推進するという立場であったことは明白です。原子力が第三の火、第二の産業革命の導火線であるとか、日本が原子力平和利用のメッカになるべきであるとか、なかなか頼もしいことを仰っています。

原発問題に関心のある方であれば、経済学者の有沢広巳(ありさわ・ひろみ 1896-1988)氏の名前はご存知であるかと思います。有沢氏といえば、戦後の経済復興を石炭や鉄鋼に振り向ける「傾斜生産方式」の提唱者としても有名なので、原発とは関係なしに、「教科書に載ってる人だ!」という認識の方が正しいのかもしれませんが。

有沢氏は専門の経済の枠にとどまらず、政治・政策・外交等にも通じた、各界に名の通る大先生であり、かつ筋金入りの原発推進論者でもあり、90歳を過ぎてなお、原発推進の重鎮(日本原子力産業会議会長、現:日本原子力産業協会)として強い影響力を保っていました。

有沢氏といえば、1986年のチェルノブイリ事故が起きる少し前に、「日本の原発は十分に安全なので、<安全のための>投資はオーバーデザインである」という発言が当時の反対派の怒りを買ったという話があるのですが、そもそも先生を原子力の表舞台に推薦したのが社会党(1956 初代原子力委員の1人として有沢氏を推薦、リンク先は原子力委員会のPDFファイル)ということになります。

‖ 路線変更はおそらく70年代以降、しかし・・

社会党はもともと原発には前向きであり、それが批判的な路線に転換したのは1970年代に入ってからでしょうか。このあたりの背景としては、重化学工業の進展の副作用として、社会問題としての環境問題がクローズアップされ始めた時期であり、そこから原子力の負の側面が社会党等を支持する市民団体の側からも指摘されるというような、すなわち下からの要求が大きかったように思います。

とはいえ、社会党はそこから原発反対一色だったのかと言えば必ずしもそうではありませんでした。

例えば1979年のアメリカ・スリーマイル、1986年のソ連・チェルノブイリを契機とした日本における「反(脱)原発ブーム」に際しても、福間知之議員の著書、「原子力は悪魔の手先か―原子力の是非を問う」において、原発に懐疑的な世論や社会党の政策を徹底批判しています。

ちなみにこちらの書籍は、原発推進の雑誌とされている「エネルギーフォーラム」紙の普及啓発賞(1990)受賞作品です。

福間氏も含めて、党内には原発推進の議員も少なくなかったのです。

‖ 連立政権と原発

90年代に入ると、94年の「自社さ(自民・社会・さきがけ)」による連立政権の発足の際に、当時の村山富市首相は、党の方針を原発反対から容認に路線を変更しました。表向きは反対と主張してきたものの、実際に政権を担う立場になると(原発反対は)政権運営上の障害になる。そのような判断だったのでしょうか。

そして村山首相の辞任、連立が解消されて下野した後に、再び反対に転じることになります。なんだか野党になると元気になるみたいなw

ちなみに、自社さ政権での政策変更の判断を下した村山氏ご本人は、2011年の原発事故を経て、当時の判断は間違いだったと反省の弁を述べられています。

2000年代はどうなのかと言えば、こちらも連立政権の話で、自民党麻生内閣→民主・社民・国民新党の、いわゆる3党連立(2009、鳩山内閣)です。ちなみに社会党は1996年に解党となり、以後、現在の社民党となっています。

この時の社民党も社会党時代と同様に原発容認に転じており、いわゆる「鳩山イニシアチブ」による原発を重視したCO2削減政策に乗っかる形となりました。

鳩山政権・民主党に問う 本当に原発「大推進」でいいのか
2010年04月19日 http://archive.is/ASEIy #aera 文教大学 人間科学部・臨床心理学科 太田和敬教授のサイトより

一部抜粋

 4月5日、消費者庁会見室。温暖化対策としての原発利用について問われた同党党首の福島瑞穂少子化担当相は、そう断言した。「脱原発」は党の方針であり、個人の信念でもある。

 だが、そのちょうど1週間後の閣議。福島氏は今度は「原発推進」を掲げた「地球温暖化対策基本法案」を了承した。最初は「反対」と言っていた原子力安全委員会の人事案にも署名した。ともに、連立維持を優先した行動だった。

 「ダブルスタンダードだと支持者から批判されています」

 社民党政策審議会事務局の野崎哲次長は、苦しい状況を説明する。



そして間もなく、3.11を迎えることになるわけですが、そのときは連立を解消していたので、例によって反対になっていたのでしたw

‖ 党としての自己反省がない

今回は社民党(社会党)と原発について、その歴史的な経緯について簡単に説明してきましたが、こうやってまとめてみますと、社民党が一貫して原発に反対してきたとか、唯一明確に反対している政党というような謳い文句は相当怪しいぞ、ということがおわかりいただけるかと思います。

もともとは原発推進からスタートして、反対なのか賛成なのか、そのスタンスは状況次第で変わっていく。それなのになぜか一貫して原発に反対してきたことになっている。

たしかに村山氏は、当時の政策判断の誤りを認めて謝罪をされていますが、それは党の要職を離れた個人の見解に過ぎません。個人ではなく組織、すなわち社民党(社会党)として、戦後の原子力政策とどのように向き合ってきたのかというような、言わば批判的な検証作業がおそらくなされていない。

政策が一貫せず、状況次第で変わるのであれば、今は反対と言ってもまた変わるのだろう。自らを省みる期間を置くこと無く、安易に反対や一貫性をアピールする政党であればなおさらのことである。私はそのように考えています。

その5につづく

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反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その3 

‖ もちろん、小泉氏を積極的に評価した反対派もいる

もちろん、反対派が全て小泉氏を否定に回ったのかと言えば必ずしもそうではなくて、反対に高く評価をされた方もいました。例えば、高木仁三郎(原子力資料情報室 故人)先生の盟友で、原発反対運動に携わって20余年のキャリアを持つ、弁護士の河合弘之氏などがそうですね。

河合先生といえば、全国の原発の運転差止め訴訟や、ドキュメンタリー映画「日本と原発」、各種講演会・論文の執筆(当ブログでも河合先生の論文を参考資料としてよく使わせていただいています)等を通して、国民的な原発ゼロの機運を盛り上げるべく、多忙な毎日を過ごされています。

朝日新聞特別報道部 プロメテウスの罠 9
2015/3 http://bit.ly/2ll9Zmb

一部抜粋

 脱原発訴訟に取り組む弁護士の河合弘之(70)が演説でこういった。
 「いままで脱原発運動は私のような環境派か、脱原発専門家か、人権派か、左翼か、一部の限られた人たちだけでやってきた。それでは原発は止まらない。ぼくは20年間やってきたからそれを身に染みて感じている。保守・革新が力を合わせて脱原発する時代についになったんだ」



文藝春秋 2016年新年特別号 小泉純一郎独自録(常井健一)
2015年12月10日 http://bit.ly/2kPscbc

一部抜粋

 東電に対して刑事責任を追求してきた河合は、よく純一郎の講演行脚に同道し、満員のホールで聴衆に向かってこんなふうに唱えている。 
 「小泉さんが脱原発を言い出したことは歴史的に意義深い。今までの運動は左翼がかった人が多くて『共産党だ』、『アカだ』といわれた。我々、革新陣営、人権派、環境派だけじゃなくて、自民党、保守の人、しかも惜しまれつつやめた元総理が言うからより多くの人に本当だと信じてもらえる」



やはり河合先生も従来の原発反対派の弱点、あるいは限界のようなものを実感しており、そういう意味では小泉氏の転向は歓迎するべきであるというお考えのようです。従来とは違った視点、考え方を持った人で、かつ社会的な知名度や一定の影響力があればなおさらである。まあそんなところでしょうか。

しかし、河合先生は小泉氏が「保守の人」であるという認識のようですが、私は別にそうは思いません。首相時代から現在に至るまで、どうもこの方の人となりや発言からは、一般市民が小泉氏を特段「保守の政治家」として接していたとはちょっと考えにくいのです。

私としては、どちらかと言うと小泉氏は、「中道」のカテゴリーに属する人ではないのかな?と。まあこの辺りは、たとえ真ん中でも、「左から見たらみんな右翼なんだ」というような冗談めいた話もありますし、多分に感覚的な議論になるのでしょう。

それから、保守(右翼)と革新(左翼)が力を合わせるという話も、たしかに理屈としては理解できますが、所詮、明確な「右」とか「左」というのは、日本社会においてはどちらも少数派に違いありません。そういう意味では、たとえ両者がを手を取り合ってみせたところで、それ自体に何か特別な意味があるのかと言いますと、それはちょっと微妙な気もします。

話が少し脱線してしまいましたが、とにかく河合先生は小泉氏を絶賛しているということは確かです。

‖ 全ての原発反対派=左翼がかった人、ではもちろんない

とはいえ、やはり原発反対派は河合先生がおっしゃるところの「左翼がかった」思想をお持ちの方が多い。すなわち、私が過去に何度か述べてきたように、極端な「反米」であり、かつ「平和主義者」であり、あるいは「反経済」であったり・・。

断っておきますが、私が言いたいことは「原発反対派が全て左翼がかっている」というような意味ではないのです。

これは以前の、「反原発と脱原発の違い」と通じる話なのですが、私はあえて両者を区別した上で、「反原発=原理主義、ノイジー・マイノリティー(声の大きな少数派)」、「脱原発=柔軟戦略、サイレント・マジョリティー(声の小さな多数派)」というような定義付けをしています。

つまり、「左翼がかっている」タイプとは、先に挙げた「反原発」グループによく見られる傾向である、という意味です。この層は当然マイノリティーなので少数派ではありますが、とにかく声が大きな分、よく目立つので多数派に映る。そのようなイメージですね。だいたいこのタイプに当てはまる方が、原発問題に加えて「全ては繋がっている」として、ありとあらゆる話を「盛って」くる印象です。

私は以前から、このような「盛ってくる」行為を「余計な話」であると述べてきましたが、私と同様に、原発に反対でありながら、同時に原発反対論(運動)に対するその種の違和感をお持ちの方も少なくないのです。

西尾幹二 平和主義ではない脱原発 現代リスク文明論
2011/12 http://bit.ly/2kFPX5W

一部抜粋

 「反原発」を主張する『世界』掲載の論文や小出裕章氏とか広瀬隆氏とかの所論はどれも力をこめて何年にもわたり原発否定の科学的根拠を提示しつづけて来た人々の努力の結晶なので、その内容には説得力があり、事故が起こってしまった今、なにびとも簡単に反論できないリアリティがある。

・・

けれども一つだけ総じて反対派に共通していえるのは、大抵みな「平和主義者」だということである。



平智之 なぜ少数派に政治が動かされるのか?
2013/7 http://bit.ly/2kPorm8

一部抜粋

「原発ゼロ」を目指す人は決して少なくない。しかし、皆、さまざまな理念を持ち、いろいろな言葉を使う。「脱原発」、「反原発」、「卒原発」、……、原発反対が反米や反TPPにそのまま結びついている場合もある。こうした事態がさらに現実を難しいものにしている。
 原発反対を言う人々が、いくつもの陣営に分かれて、自らの正当性を主張している。いわば本家争いだ。それで本来は圧倒的な少数派である原発推進派に漁夫の利を与えてしまっている。・・
 実際、禁原発を主張する私自身が、脱原発を主張する方々から批判されることもあるのだ。脱原発を主張する方々の中には、反米の姿勢を貫く方もおられるが、私は反米ではない。

・・

反TPP、反消費税増税とセットでなければ脱原発を語る資格がないのだとすれば、原発推進の少数派の思う壺だろう。脱原発は同じでも、その他の政策のわずかなズレで一つになれない。



・・あるいは、反原発はすなわち、反米で、半農主義者でなければならないというのも原理主義だ。私は禁原発だが、反米ではないし、半農主義者でもない。
 しかし、現在の日本には、そうした原理主義の議論にしてしまいたがる傾向がある。



西尾氏と平先生の話を合わせると、原発反対派は底抜けな平和主義者であり、反米、反経済、反増税、反工業文明であったり・・。

つまり、彼らは良く言えば優しい(すぎる)人であり、悪く言えば理想主義者。どちらにしても一般社会では到底共有されそうにもない思想をお持ちの方が多い。そのような違和感は私も共有するところです。

この手の話では、他にも死刑反対であったり、反医療、大麻推進とか無農薬・有機栽培、捨て猫拾ってください・・とか、いろいろネタがあります。やはり私も、私が定義するところの「反原発(=左翼がかった人たち)」のグループの「ノリ」にはどうにもついていけないなと、以前からしみじみそう思っているわけです。

‖ やはり「左翼がかった」反対派には、小泉氏の存在は都合が悪いのだろう

小泉氏の原発ゼロがニセモノであるという批判の根拠として、先の事例の通り、原発とは直接関連性のない話で「騙されるな~!」と警鐘を鳴らす論調が流行りましたが、私の印象ではこのような「場外乱闘」のような攻撃手段を仕掛ける方というのは、どうも「反原発」のグループに多いのではないかと、そのように考えています。

小泉氏のキャラクターは、明らかに私や諸先生方が定義する「反原発派」のイメージとは対極に位置する存在です。

小泉氏はどう考えても底抜けな平和主義者ではないですし、反米主義者でもない。よって、日米安保破棄や非武装中立、沖縄問題等とは接点がない。持論が「脱原発で経済成長」なので、経済成長には興味があるのでしょう。まあ捨て猫は知りませんが。

そういう意味では、小泉氏の存在はたとえ原発に反対であっても、いわゆる「反原発グループ」にとっては、原発問題に加え、+αとしてのある種の党派性や政治思想・ライフスタイル、そのようなものを広める際の障害にしかならない。つまり、そんな人に目立ってもらっては困る。知名度が高いならなおさらである・・。

小泉氏の原発ゼロ批判の背景には、そのような反対派の思惑もあったのではないのかと、そのように考えてます。

‖ 原子力ムラと反原発ムラ

福島原発事故の後、国内では原発推進のグループを指して「原子力ムラ」という言葉が流行りました。

その語源は諸説ありますが、「ムラ」の意味するところは、社会において数の上では決して多いとは言えない特定の利害関係者が、批判派や世論の影響をほとんど受けずに原子力政策を進めているという、ある種の村社会・排他的な構造を批判的に「ムラ」と表現しているわけです。

しかし、このような「ムラ」の存在は、きっと反対派のグループにもあるのだろうというのが私の印象ですね。まあ「反原発ムラ」みたいなものが、きっとあるのでしょう。

原発に反対であれば、とにかく「ホンモノの反対派はこうでなければならない」という特殊な思想を共有し、かつ排他性を持ち、攻撃的な気質でもある。数の上では少数派ではあるものの、それなりに声(影響力)の大きな人たちが同じ反対派の真偽を選別。そのような「ニセモノ狩り」の横行が、結果的に原発推進のアシストをしてしまっている。

こうじゃない反対派はニセモノだ!という、「ホンモノ・ニセモノの見分け方」みたいな話は、私の記憶では2012年くらいから流行りだした感じです。

しかし、このような傾向は今も根強いものがあるなと、私は今なお続く「狩り」の現場に出くわすたびに苦々しく思っているわけです。

その4につづく

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反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その2 

前回の話は、原発推進を通してきた小泉氏が、福島原発事故を契機として反対派に「転向」していった経緯について要約したものになります。

タイトルと記事の内容が噛み合ってくるのは、いよいよこれからです。

‖ 永田町の非常識、「変人」の小泉は、原発反対のニセモノだ!?

前回の話のとおり、小泉氏の転向は実質的には2011年以降ということになるのですが、世間一般の認識としては、大手マスコミに注目されるようになった2013年の秋ということになるのでしょう。原発反対の議論の中で小泉氏が話題になったのもほぼ同時期ということもあり、どちらにしてもそれまで小泉氏の活動は殆ど知られていなかったものと思われます。

小泉氏の転向について、これを原発反対派がどのように評価したのかと言えば、やはり否定的なニュアンスで受け取られた方が多かったように思います。すなわち、「ホンモノ」から見れば小泉純一郎の原発ゼロなど「ニセモノ」だから騙されるなという主張が結果的には勝ったということです。

いわゆる「ホンモノ」な原発反対派が指摘する、小泉氏がニセモノである理由は当時数多く見られました(それがまた反対派同士で議論の対象になっていた)が、代表的な論説を上げてみると、だいたいこんな感じであったと思います。

・小泉は靖国神社に参拝したことのある右翼じゃないか!
・小泉はアメリカ言いなりの対米従属・アメポチじゃないか!
・小泉は新自由主義者じゃないか!


これらが小泉氏がニセモノである主な理由であり、概ね原発反対派の中では共有された認識だったと思います。今でも小泉氏が講演会などでニュースの話題に出てくるたびに、上記のような理由で「騙されるな~!」と警鐘を鳴らす人は多いですね。

もちろん、私にはこれらの理由が小泉氏が「ニセモノ」であるという、説得力のある主張であるとは到底思えなかったのですが、でも皆さん、「なるほど、たしかに小泉はニセモノだ、危うく騙されるところだった!」なんてw

‖ 靖国参拝と原発

靖国参拝=右翼、原発反対のニセモノ。・・果たして靖国神社に参拝することが右翼、あるいは右翼的な行動なのでしょうか?それに、たとえ右翼だからと言って原発に反対してはダメな理由もないでしょう。

たしかに、個人的には原発反対派は「左翼がかった人が多い」という印象もありますし、そのような人たちは、実際保守とか右とか、たとえわずかでもそのような「香り」のする方に対して敵意をむき出しにされる方も多いです。

ちなみに、これは原発事故以前の話になりますが、私は東京見物(本命はアキバ巡りでしたがw)の一環として靖国神社に行ったことがあります。ということは、どうやら私はその時点で原発に反対する資格を失っていたようです。

‖ 親米と原発

アメリカは超大国とも呼ばれているとおり、何事においてもスケールが大きな国です。したがって、自国の政策、あるいは変更変更(政治・経済・安全保障面など)によって、必然的に周辺諸国にもそれなりの影響を及ぼします。もちろん、日本とアメリカは同盟関係にありますから、そこから受ける影響の度合いは、たとえそれが良い意味でも悪い意味でも否定できるものではないでしょう。

そのため、私もアメリカに対する評価は人によって様々あることは承知していますが、その賛否はともかくとして、日本人としてアメリカに対して一定程度の評価と言いますか、ある程度の肯定的な対応・節度のある付き合い方をすることが親米の定義なのでしょう。

そういう意味では、たしかに小泉氏は「親米派」とも言えるのでしょうが、そもそもアメリカと好意的に付き合うことがなぜ原発問題と関連性があるのかがわかりません。「なぜ原発に反対なのに親米なのだ!!」という疑問の組み立て方には相当無理があります。

ところが、原発に反対される方はかなりの確率で極端な反米志向の傾向で、先ほどの右翼の話と同様に、たとえわずかでもアメリカを肯定的に語るような人には敵意をむき出しにします。なんと言いますか、そのような方々は、例えばツイッターなどでも四六時中アメリカの悪口(+かなり下品な)を言ってなければ気が済まないような感じです。

‖ 新自由主義と原発

小泉氏の原発ゼロがニセモノだという最大の理由はこれでしょうかね。新自由主義者だからニセモノという主張。たしかにこれが一番目立ったような印象ですが。

しかし、そもそも「新自由主義」とは一体何なのか?私は経済のことはあまり良くわかりませんが、例えば小泉氏が総理時代に主張していた「民間にできることは民間に!」というような話から想像すると、これはおそらく、効率性(経済合理性)や競争力、労働生産性の向上に目を向けるという考え方なのでしょう。端的に言えば「小さな政府」とも言えるでしょうか。

そうであるならば、新自由主義と脱原発・原発ゼロと言うのは、これはニセモノどころかむしろ相性が良いとも言えます。

原発は典型的な規制産業と言いますか、とにかく国家の手厚い庇護がなければ1日として成り立たない、極めて脆弱な業界です。ゆりかごから墓場(原発建設から核のゴミ処分)まで、たとえ墓に入っても国家が関与し続けなければならない事業ということで、これは新自由主義、小さな政府とは対極に位置する存在と言っても過言ではありません。よって、新自由主義者が原発に反対することは当然とも言えると思います。

そういえば、小泉氏が原発ゼロで注目された当時、小泉内閣のブレーンも努めたことがある竹中平蔵氏も原発に批判的な話をされていましたけど、この方も新自由主義者と呼ばれていましたから、たしかにそういう意味では矛盾はしないでしょう。

しかし、やはり原発反対の方は反・新自由主義、それどころか反企業とか反経済のような主張をされる方も多い。例えば今回のような、経済合理性の視点から原発を批判することに対しては、敵意をむき出しにされる方が多いのが実情ですね。そのため、先の竹中氏は特にそうですが、維新の会の橋下徹氏、経済評論家の古賀茂明氏、元衆議院議員の平智之氏なども反対派からはあまり評判がよろしくなかったです。

新自由主義ネタで付け加えると、小泉氏は原発ゼロの講演会で、ご自身が郵政民営化を成功させても原発の問題(小泉氏は原発はカネ食い虫の産業等と批判)には気が付かなかった、考えが及ばなかったとして、毎回その話を取り上げ、自らの不明を恥じているようです。

小泉氏と竹中氏は、たしかに世間では以前から新自由主義者として名が通っており、かつ、原発批判派としては後発組ということになります。となれば、これはやはり、お二方は新自由主義者としては2流3流であったということなのでしょう。

‖ どうも反対派にとっては、小泉氏の存在は都合が悪い?

今回の小泉氏の話に限らず、原発に反対ならば靖国参拝(=右翼・保守系)などもってのほかで、とにかく反米主義、反・新自由主義者でなければならない・・。YOUTUBEなどにアップされている原発反対のデモや集会などの様子を見ていると、だいたいこういう話がセットになっています。

私にはその「でなければならない」理由がさっぱりわからないまま今日に至るわけですが、原発事故後、徐々に原発反対派の間でそのような考え方が広まっていったような印象ですね。いつの間にかと言いますか、私が気がついたのは2012年くらいでしたが、実はもっと早く、原発が爆発した直後からそのような兆候はあったのかもしれませんが。

そういう意味では、そのような主張を広めている、あるいは共有している原発反対派からすると、小泉氏のような人に原発を反対してもらっては困る。都合が悪い人物であるというような見方も出来るのではないかとも考えています。

その3につづく

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反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その1 

今回の連載も本来であれば去年を予定していたのですが、今度こそやるぞという意気込みです。ホントですw

予定を入れて、ふいに気になる話題が入ってきたり、あるいは予定そのものを忘れてしまったりと、私の場合はだいたいそんな理由で遅れるのです。

‖ 久方ぶりの小泉節

小泉純一郎元総理の原発ゼロ。急にこのような話が世間を賑わせたのが、たしか2013年の秋ごろになります。

「核のゴミの置き場所がないじゃないか!」
「日本で処分場を作ろうとして穴を掘ったら温泉が出ますよ」
「今すぐ原発ゼロしか無い!」


政界引退から5年くらいになるでしょうか。久々にメディアを通じて小気味の良い「小泉節」が聞かれましたが、しかしその批判の対象が原発だというのだから世間の皆さんは余計に驚いたわけです。小泉さんは原発に賛成じゃなかったの?みたいに。

自民党一筋で総理大臣まで経験した人物が、なぜ2013年になって原発ゼロと言い出したのか?しかもなぜこのタイミングで・・?そのような小泉氏に対する疑問の声は、原発の賛否を超えた、ある種の国民共通の性質を帯びていたと思います。

しかし、なぜ2013年とかタイミングとかは、別に何ということはなかったのですね。真相は大手のマスコミが2013年になって小泉氏に注目したからあのような騒ぎになった。それ以外に特に意味は無いのです。

‖ 実は小泉氏の「転向」は3.11直後

実のところ、小泉氏は2013年どころか2011年、福島原発事故が起きた後、かなり早い段階から「原発ゼロ」に近いようなことを発言していたのです。

「原発の安全性過信」原子力政策で小泉純一郎元首相が自戒の弁/横須賀(神奈川県)
2011年5月28日 http://bit.ly/2kPGQ2n #カナロコ

一部抜粋

小泉純一郎元首相は28日、横須賀市内で特別講演し、福島第1原発事故に関連して「自民党政権時代も原発の安全性を信用して推進してきた。過ちがあったと思う」と自戒の弁を述べた。

・・

 小泉元首相は「原発は安全かといえば必ずしもそうではない」との認識を示し、今後の原子力政策については「これからはもう原発をさらに増やすのは無理。原発への依存度を下げ、自然エネルギーの開発促進をしていくべきだ」と持論を展開した。



小泉氏は、おそらく総理時代は原発の安全性は揺るぎないものと考えていたでしょう。科学万能、日本人はアメリカやソ連と違って優秀。そのような人物が原発事故を契機として、安全性の過信に過ちがあったことを認め、自戒の弁を述べたわけです。

もう原発を増やすのは無理で、依存度を下げて自然エネルギーを増やしていく。このような話は原発反対派からは評価されると言えるでしょうが、その反面、推進側から見ればとんでもない変節、裏切り行為に等しい。いわば「小泉は原発事故でおかしくなった」といったところでしょうか。とはいえ、小泉氏はもともと「永田町の変人」などと呼ばれてたそうですがw

‖ 小泉氏とCIPPS

同年の7月の話になりますが、国際問題の研究や政策提言を行うシンクタンク、国際公共政策研究センター(CIPPS)主催のシンポジウム、「震災後の日本経済を展望する」において、原発問題について小泉氏と原発と利害関係のある、名だたる財界の有力者によるディスカッションがありました。

国際公共政策研究センター シンポジウム「震災後の日本経済を展望する」の開催
2011/7/26 http://archive.is/wQDcq

一部抜粋

2011年7月26日(火)に「震災後の日本経済を展望する」と題したシンポジウムを、国際公共政策研究センター主催、三井不動産株式会社協賛にて日本橋三井ホールで開催しました。

・・

セッション2のパート2は「日本の活路をどのように切り開くべきか」と題し、元内閣総理大臣 小泉純一郎氏(CIPPS顧問)に今後の日本がいかにしてピンチをチャンスに変え、困難を乗り越えていけるかについてご講演いただき、その後パネリストの方々と議論しました。






小泉氏はこちらの会合の場においても、もはや原発を増やしていくのは無理であるとか、自民党でもそう簡単なことではない、減らしていくしか無いとか、そんなことを発言していたと思います。

小泉氏の発言に対して、司会の方が、「小泉さんがこんなこと言ってますけどw」と反論を促して、同席していた財界のメンバーや有識者は当然反対の意志を示し、小泉包囲網を敷いての応戦。実質的には小泉氏が1人で対峙するような感じでしょうか。

そして途中でトヨタ自動車相談役の奥田碩(おくだ・ひろし)氏が、会合の場としてあまり対決姿勢というか、そうした殺伐した空気感もまずいだろうと察したのか、「まあまあ」と仲介に入るような。

まあしかし、小泉氏もこんな会合でなかなか大それたことを言ったものだと思いました。何しろCIPPSというのは、もともと小泉氏の引退後の生活のために作られたと言われる団体で、小泉氏は顧問という立場(いわゆる天下りみたいな?)でしたからね。つまり、趣味の歌舞伎やオペラのチケット代を払ってくれるスポンサーを相手に批判するという、完全なアウェイの状況です。ちょっと私にはこんなことは出来ないですね。

今考えてみると、もしかすると先の「震災後の日本経済を展望する」は、財界として小泉氏に翻意を促すというか、反省の弁を述べさせる場であったように思います。5月の時点で小泉氏に転向の「疑い」が発覚したということは、おそらく推進側も察知していたはず。財界の領袖に諭されて、「あれは一時の気の迷いでした」と謝罪の意を示させて、「ピンチをチャンスに変えて原発を増やしていこう!」という小泉節に期待していたのではないかと思うのです。

‖ CIPPSと袂を分かつ

スポンサーの反発を受けつつも、小泉氏は独自に原発問題の研究を続けていきます。特にエイモリー・ロビンス「新しい火の創造」、映画「100,000年後の安全」、恩師である加藤寛氏の「日本再生最終勧告 ‐原発即時ゼロで未来を拓く」などの影響も受け、ますます脱原発、原発ゼロの主張を強めるようになっていったようです。

そして小泉氏は2013年8月、同床異夢の旅と言われたフィンランドの高レベル放射性廃棄物最終処分場のオンカロ視察(同行した原発・ゼネコンメーカー等は小泉氏の翻意を期待していた)を経て、2014年にはCIPPSの顧問の職を辞任。事実上、スポンサーとの関係が解消されました。

ちなみに、小泉氏の辞任の際に、先ほども登場した奥田氏から「事務所の部屋だけでも良いから使ってくれ」という話があって、小泉氏は現在でも来客用として奥田氏の部屋を利用しているようです。この辺はお互い大人の知恵というか配慮のような感じも伺えます。

‖ 小泉氏の転向は非常識?

2013年の小泉氏の原発ゼロが話題になった頃、政治評論家の浅田彰氏だったと思いますが、ある夕方のニュース番組で、「小泉さんは卑怯だと思いますよ、小泉さんに育てられた今の政治家がかわいそうじゃないですか」というようなことを仰っていました。

私は浅田氏の仰る意味がすぐには理解できずに一度考えたのですが、要するに、政治家として責任ある立場を経験した以上は、在任時の政策判断を墓場まで持って行く(筋を通す)べきだということなのでしょう。特に原発のように多方面において利害関係が大きく絡むような案件であれば、そのまま惰性に身を任せていたほうが小泉氏自身としても幸せだろうと。そうであれば、例えば同じ首相経験者である森喜朗氏などは筋が通っているとも言えるのでしょうが。

永田町の常識は世間の非常識とも言われますが、たしかにそういう意味で、やはり小泉純一郎という人物は「変人」という位置づけになるのでしょう。

その2につづく

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高速増殖炉もんじゅの廃炉 - 関連する記事を読んで思ったことをあれこれと - その3 

このような感じで、福井新聞の記事の一節から過去に読んだ書籍の内容を思い出して、やはり原発はなるべく早く無くす方向に進むべきだろうという考えを再確認したところです。

しかし、私は同時に、それはほとんど無理ではないかとも考えています。

当ブログの今までの記事の論調から、もしかしたらお気づきの方もいらっしゃるかとは思います。たしかに私は原発に反対ではありますが、実際問題として原発が無くなるとはこれっぽっちも考えていないのです。

今後はさすがに2000年代の「原子力ルネサンス」の頃に喧伝されていた、電力の50~60%を原発で(原発100基体制)というようなことにはならないとしても、事故前の54基をベース(事故後に廃炉措置となった原発分はマイナスに)に、現状維持から若干シェアを下げる程度に落ち着くのだろうなと見ています。もちろん、私はそれでは大いに不満なのですがw

この辺の問題はいわゆる「原子力ムラ」などに代表される体制側、ステークホルダーの政治的・経済的な影響力、あるいは一度決められた政策は容易なことでは覆されない惰性力にあるとか、そういう意味ではありません。

私が問題視しているのは推進派の方ではなくて、反対派の方です。

‖ 原発反対派の悪癖

原発事故を経て、たしかに世論は原発に批判的な論調になったと言えます。しかし、同時に世論が原発のない社会に向けてそこからさらに一歩前には出られず、二の足を踏んでいる状況です。

その理由は、反対派の中で特に社会的に影響力のある方々が、次から次へと原発問題とは関係のない余計な話を盛ってくる「悪癖」が問題であると私は見ています。つまり、反対派の「悪癖」が、結果的には推進派をアシスト(オウンゴール)してしまっている。このような話は、例えば「ニセモノ狩りシリーズ」などを通じて今まで色々述べてきたことではありますが。

原発の話をしているはずなのに、なぜか「原発と憲法九条」であるとか、極端な平和主義(非武装中立)、反米主義、反グローバリゼーション(反資本主義)、アメリカ・ユダヤ陰謀論。原発はTPP、戦争、沖縄問題など全てにつながっている・・。必ずと言っていいほどそういう話をセットメニューに盛ってくる。原発反対のクラスタ(=グループ、派閥)ではありがちな話です。

私は「そんな話はどこかよそでやればいいのに・・」と、著名な原発反対の有識者の主張に触れるたびに不満を感じることが多いのです。何と言いますか、原発問題は入り口に過ぎず、本音としては彼らの政治思想(イデオロギー)を広めたい。もしかしたらそんな思惑があるのではないかと疑ってみたくもなります。もちろん、原発・エネルギー問題に的を絞って適切な解説をしていただけるまともな方もいらっしゃることは確かですが、本来はそれが当たり前じゃなければおかしいと思うんですけどねw

‖ 原発反対論と「左翼がかった」人たち

あまりこういうことは言いたくはないのですが、原発に反対されている著名な方々を見回してみると、たしかに左翼がかったタイプが多い。というよりも、原発反対論はある意味で左翼がかった方々によって専有されている(専売特許)印象も否定出来ないと思います。そういう意味では私は原発反対の傍流であり、本家の方々から見れば原発を反対する資格を有していないことになるのでしょうね。

ただし、これは誤解してもらっては困るのですが、私は別に「反原発(脱原発)が左翼思想である」という意味で述べているのではありません。原発に反対すること自体は何も特殊な思想では無いのです。しかし、不幸なことに、原発問題が左翼がかった方々の守備範囲・テリトリーの1つとしてガッチリと組み込まれてしまっている。そのようなイメージですね。

‖ 原発反対=左翼という俗説

なお、一般論としては「反原発(脱原発)は左翼、社民党・共産党である」というような分類が通用している印象がありますが、これは全くの事実誤認であり、歴史的な事実関係に反する俗論です。よくある「一貫して原発に反対してきた○○党」みたいなセールストークの類は、基本的には虚偽であり、歴史のねつ造と言えるでしょう。

今回の話の続きはタイトルを変えまして、次回に予定している連載「反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎 - (仮題)」 編において、もうすこし詳しく述べていきたいと考えています。

- おわり -

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