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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その6 

‖ 日本を覆う「原発反対神話」のウソ

・・とまあこのような感じで、一般論としては「反(脱)原発=社民党・共産党」であるとしても、歴史的な事実関係から見ればそれは明らかな誤りである。そういうことですね。

社民党や共産党による、「原発反対の老舗」などという武勇伝は、私から見れば嘘っぱちもいいところです。

福島の原発事故で「安全神話」が崩壊したなんて言われてますけど、今度は誰々が一貫して反対してきたという「反対神話」が作られてしまっている。これは良くないですよね。

そのようなわけで、例えば原発事故を機に原発反対の立場になったとしても、だからといって左翼政党に傾倒する必要性は全くないのです。

あるいは右とか保守を自認される方にしても、右翼団体・一水会の鈴木邦男氏が仰るところの、左翼への対抗意識としての原発推進(鈴木氏は原発反対なのですが、いわゆる右派の特徴をそのように分析)みたいな、そのような行動に走る必要もないと思います。

‖ 「左翼」と「左翼がかった人」の親和性

ただし、以前からブログの記事でも取り上げている河合弘之先生も仰るように、原発反対派は「左翼がかった人」が多いことは確かでしょう。つまり、先の「底抜けの平和主義で反米主義、半農的な原理主義者云々・・」といった話ですね。

このような人たちは、たとえ既存の「左翼政党」の熱心な支持者・党員ではないとしても、そのような政党の方向性と考え方が一致する部分も多いのでしょう。

彼らの関係を端的に表せば、「左翼政党≒左翼がかった人」みたいな感じでしょうか。原発反対派の中の少数派(ノイジー・マイノリティー)は特にそのような印象なので、一般的には「原発反対派は左翼だ、共産党(社民党)だ」と思われても仕方がない面もあるのでしょうね。

反対派の主導的な人たちは、確かに左翼がかっているので、どうしても話の流れが左に寄ってしまう。原発に加えて余計な話を盛ってしまいがちになる。

そのため、原発問題という、利害関係が複雑に絡み合っているために、平時においては惰性力(推進)が作用し、かつ一歩誤れば国難に発展しかねないようなきわどい話であっても、結局は少数・零細政党の守備範囲として定着してしまう。これでは原発は無くならないでしょうね。

‖ 小泉氏の「原発ゼロ宣言」の意義

そのような意味において、小泉氏(久しぶりに名前が出てきましたw)の「原発ゼロ」宣言は大変意義のあるものであったと、私は考えています。小泉氏のように、キャラクターとして右でも左でもない方が「原発はやめるべきだ」と語ってくださることで、本来原発問題は誰が考えても良いことなのだと、そのような当たり前のことを再認識させてくれるからです。

小泉氏の原発ゼロ運動は、かれこれ6年近くになりますが、私のような者がどうこう言うのも恐縮ではあるのですが、小泉氏は大変真面目に活動しているなという印象です。

原発事故直後から現在に至るまで、南は九州、北は北海道(今年の3月11日には札幌で講演を予定)と、様々な地域に足を運び、例の小泉節による原発ゼロの辻説法を続けています。

講演会では単に同じことを話すのではなくて、事前に足を運ぶ地域の経済や産業、偉人や文化などの情報を頭に入れておき、講演の際の余談として活用する。小泉氏は和歌や俳句などにも通じているので、特にそのような話をする機会も多いですね。

特に小泉氏は、本題以上に余談を重要視している(余談が印象に残ることが大事なのだそうです)ようですが、確かに講演の際の随所に見られる、常に聴衆の気を引くための気配りや、言葉の引き出しの使い方。この辺りの上手さは、現役を退いたとはいえ、さすがに稀代の政治家という感じがします。

小泉氏は原発関連で気になった本があれば、早急に30冊ほど取り寄せて、「これ良いよ!」なんて知人に配ることもあるそうです。たしか本のタイトルは「九電と原発」だったと記憶していますが。

ご自身が推している、再生可能エネルギー。例えば太陽光の落成式であれば、たとえごく少規模のものであっても参加して講演を行う。このようなことは、何事においても華やかな場所に慣れ親しんだ総理経験者としては異例のことかもしれません。

あるいは安倍首相に「原発ゼロ」を直談判して無視されるとか。こんなことをしたら安倍首相は苦笑いするだけで、同時に周囲からの失笑も買うでしょうし、傍から見ると結構恥ずかしいですw到底私には出来ないことです。

とにかく、思い立ったら即行動に移そうとする姿勢は、現役時代と変わらないなと思います。

‖ 小泉氏の「ホンモノ・ニセモノ」論争には与しない

原発問題において小泉氏が登場して以来、反対派陣営では「小泉はホンモノかニセモノか?」という論争に発展したわけですが、私はそもそも、ホンモノ・ニセモノといったことには全く関心がないのですね。

ただし、これは以前の記事でも述べてきたことではありますが、私は人や組織の完全性を信用していません。人は過ちを犯すものであり、組織は必ず腐敗する。そのため、元来不完全である人間と巨大技術の組み合わせというのは、相性としてはあまり良いものではないのだろうという話です。

そういう意味では、小泉氏が講演の際に必ず仰る、「過ちは改むるに憚ることなかれ(論語)」、「人生の本舞台は常に将来にあり(尾崎行雄)」、「老人だって大志を抱いても良い」という言葉には、ある種の人間らしさを感じることは確かですね。

それにくらべて、過去の歴史を捏造してまで一貫性や無謬性(=むびゅうせい・誤りがないこと)を強調する人や組織というものは、私は基本的に警戒します。

‖ 小泉氏に「ぶっ壊してほしい」ものと、これまでの活動に対する敬意

先ほども述べたとおりではありますが、私が小泉氏の登場に意義を見出している理由は、その存在が、本来、誰もが原発に反対と言っても良いという、ごく当たり前の感覚を再認識してもらうためには不可欠であるということに尽きます。どうしても原発問題は、話の方向性が「左」に流れがちになり、一般人にはハードルが高くなってしまう傾向があるのでなおさらです。

語弊があるかもわかりませんが、ある意味で「反原発をぶっこわす」ことで、原発問題をもっと開かれたものにする。こういう方向に進まなければ原発はなかなかやめられないだろうなと、私は小泉氏が注目されるようになった2013年ころから、そのようなことを考えているわけです。

もっとも、小泉氏もご自身が原発に反対して、同じ反対派から「小泉はニセモノだ」と批判にさらされることは想定外だったように思います。反対活動をして推進派から批判されるならともかく、同時に反対派からも石を投げられるわけですから。やはりこのような状況は、ご本人にとってはあまり気分が良いものではないでしょう。

小泉氏は原発に反対するようになって、改めて原発に反対することの難しさを実感されたのではないでしょうか。この問題には、単なる「推進・反対」では表せない、政治思想や党派性、イデオロギー等が多分に絡んでくるわけですから。何か一言言えば、「ニセモノだ、騙されるな!」ですからね。

ですので、もし小泉氏も反対運動に疲れたと思われたのなら、私はその時点で休まれても良いと思います。

自民党の政治家として楽な老後を選ばなかった、事故が起きても過去にほっかむりしていたほうが確実に充実していたであろうという意味で、私はこれまでの小泉氏の「非常識な行動」を高く評価しています。

- おわり -

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反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その5 

‖ 一貫してきっぱりと

一貫して原発に反対してきたと主張する政党は、日本共産党(共産党)もそうですね。特に共産党は、「我が党は何事も一貫して・・」、「きっぱりと・・」みたいな言葉の使い回しを好む傾向です。

「日本共産党は一貫して原発に反対してきました!」

「我々は、日本が無謀な原子力開発に着手することには、最初からきっぱり反対してきました!」


共産党の議員や関係者の方々は、例えば街頭演説や各種集会等でしきりにこのようなことを仰っていますが、実際問題として、それはそのとおりだと思われている方は多いのだろうと思います。

しかし、例えば志位委員長などがどんなに「一貫してきっぱりと~」等と主張されても、あるいはそれに同調される方が何人いようとも、それは全然違うだろうと、私としてもきっぱりと言わざるをえないわけですが。

‖ 日本共産党の基本的な政治姿勢

本題に入る前に、いったい共産党はどのような政治姿勢なのか?まずはこの辺を簡単に説明しておく必要があると思います。

共産党は皆さん御存知のとおり、現在の社会体制の基本的な枠組みと言える資本主義から脱却し、社会主義・共産主義を目指す前衛政党(革命のための先導的な集団)という立場です。

共産党としては、当然、アメリカに代表される自由主義・資本主義的な世界観とは考え方が異なります。したがって、アメリカを含め、その価値観を共有する諸国とは一線を画す(批判の対象)というのが基本路線です。

一昔前の共産党は、アメリカを代表とした資本主義陣営を「帝国主義・戦争勢力」と位置づけ、その反面、ソ連(ソ同盟)を代表とする社会主義勢力を「平和勢力」であるとする価値観を有していたのです。この辺りは、いわゆる「逆コース」の時代の影響も多分にあるのでしょうが、すなわち、「資本主義(アメリカ+同盟国)は悪」であり、「社会主義(ソ連)は善」であるという二分法的な思考です。

しかし、当時の社会主義の模範国とされたソ連(あるいは中国もそうですが)が、だんだん模範的ではなくなっていった事情などもあり、現在では社会主義を目指す政党は日本共産党だけ(=自主独立路線)ということになっています。

ただし、共産党は、先の「資本主義=悪、社会主義=善」という基本的な認識そのものを改めたわけではありませんでした。

そのため、事実上の模範国が存在しないとされる現在においても、共産党として批判の対象の1番手に相当するのは、やはりアメリカです。そしてその同盟国である日本を「アメリカ言いなり」、「傀儡政権」などと形容するのは、やはり先の二分法の影響が色濃く残っているからなのでしょう。

‖ 日本共産党の特異な原子力観と、古くて新しい話

ところで、「アメリカは悪である」という定義が成り立つのであれば、アメリカやその同盟国が行う政策もまた悪である。そのような見方もまた可能になります。

だとすれば、当然、その裏返しとして、「社会主義国が行う政策は善である」ということにもなり、そこから「社会主義国による原子力平和利用は善である」という主張が出てきても全くおかしなことではないわけです。

実際、1940、50年代の日本共産党は、「原子力の平和利用は社会主義でしか出来ない」というような論説を、初代書記長の徳田球一氏などが主導して、政党機関紙の赤旗などで盛んに喧伝していたのです。

当時の資料を取り寄せて見てみると、平和利用の一例として、1億年使えるコンロであるとか、砂漠を森に変えるとか、原子力をあらゆる動力源に利用して、生活必需品が有り余るほど作れるとか、なかなか夢のある話でいっぱいです。そして、世界初の民生用の原子力発電所・オブニンスク(ソ連・1954)の臨界に際して、「社会主義の勝利」等と絶賛しています。

先ほどの「原子力の平和利用は社会主義で」という話は1940年代の話なので、こちらの記述について、「それはいくらなんでも古いだろう」、「当時は誰もが原子力の可能性を信じていたはず」というような感想を持たれた方もいらっしゃるかとは思います。

たしかに、原子力に対する当時の世相(原子力=万能・無限の可能性)と、共産党の夢のある話には、それほど大きな違いはないとも言えなくもない。そうであれば、今度は「一貫して~」という謳い文句とは矛盾をきたすことになるのですが、それはさておきです。

しかし、この70年前の「古い」考え方は、それは原子力黎明期に誰もが見た夢であったとして、共産党としてはとうの昔に捨て去った話・・というわけではないのです。

実際に共産党の機関紙と位置づけられる「赤旗」や「前衛」などの資料を、40年50年代から、60年、70年・・と、順を追って資料を見ていっても、時代に即した言葉や言い回しには変化は見られるとしても、私が見る限りにおいては「社会主義でこそ」という本質的な部分には変化が見られないのです。

後述になりますが、おそらくそれは福島原発事故を経た今も変わっていないのでしょう。

‖ 社会主義でこその平和利用と反・反(脱)原発

共産党としては、原子力は本来良いものであり、それを悪くしているのが利益優先の資本主義、軍事利用を優先させる帝国主義、すなわちアメリカにある。原子力の正しい利用を目指して「社会主義でこその原子力平和利用」を掲げてきたわけですから、当然、「原発そのもの」を否定するわけにはいかない。

日本における1970年代~80年代後半(もしくは90年代前半)にかけての「反(脱)原発ブーム」というのは、例えば当時の代表的な論客であった高木仁三郎先生にしても、別に「資本家の原発はけしからん!」などと言っていたわけではありませんでした。批判の対象は色付きではない原発そのものであって、「原発はけしからん!」という話です。

しかし、共産党にとっては「原発はけしからん!」では困るのです。なにしろ原発を悪くしているのは資本主義であり、悪いアメリカなのですから、原因を取り除けば原発は必ずうまくいくのですから。

よって、「反原発」や「脱原発」などと主張する高木先生や広瀬隆氏など、当時の原発反対の代表的な論客は、共産党にとっては総じて「反科学主義」、あるいは「ニセ『左翼』暴力集団」、「トロツキスト」等といった位置づけ(ニセ左翼・トロツキストは、共産党が敵対勢力に向けて好んで使う蔑称)でした。80年代前後の反(脱)原発ブームの頃の共産党は、原発反対に反対の「反・反(脱)原発」というスタンスでした。

‖ 原発を諦める=科学の否定?

もちろん、共産党は少なくとも1940年代から続いているであろう、「社会主義でこその原子力平和利用」という考え方は、原発事故を経た現在でも基本的には変わっていないと私は見ています。

佐野眞一 津波と原発
2011/6 http://bit.ly/2lkGT3g

一部抜粋

 今回の大津波と過去の大津波の一番の違いは、原発事故が起きたことです。山下さんは原発についてどう思われますか。

「僕は原発を全面的には否定しないんですよ。だって、将来の日本のエネルギー問題を考えれば、何が何でもいけないと言うわけにはいかない。それは防潮堤をもっと高くしろという短絡的な意見と同じでね。こういう事故が起きると、ほら見たことか、やはり原発はダメじゃないかという意見が必ず出てくるが、それもダメですよ」

原発事故については日共の大幹部らしい公式的見解が出てくると思っていたが、これは意外な意見だった。



こちらの山下(文男)氏は、元共産党文化部長という肩書で、なんでも「共創協定」などに関わった等と同書には書かれているのですが、どうも私はこの辺のことはサッパリでwとにかく山下氏が大幹部であったことは間違いないということで。

それにしても、「ノンフィクションの巨人」とまで言われていた佐野眞一氏らしからぬ感想です。山下氏の受け答えは共産党出身者としてはそれほど意外な話ではないのですから。これは決して、窮地(津波)から自衛隊員に助けられて考え方が変わった(同書で山下氏は自衛隊を容認するとも述べている)からであるとか、そのような話ではないのです。

佐野氏も共産党と原子力についての抜き差しならぬ関係を事前に知っていたら、もっと面白そうな話も聞けたかもわかりませんでした。しかし山下氏は、取材から間もなく亡くなってしまいました。

共同通信 原発と国家 吉井英勝共産党衆議院議員
2011年11月08日 http://archive.is/rIDHO #共同通信

一部抜粋

―原発と人類は共存できないという発想か。
 「決め付けはしない。人間が管理できる原発があり得るか。高レベル廃棄物の消滅処理を含め、基礎研究は続けるべきだ。科学を否定はしない」



原発事故後に、事前に国会質問で原子炉の冷却機能についての質問をしていたことで再評価された吉井英勝氏。

その吉井氏にしても、原発を否定することは科学の否定という認識で、「原発ゼロ」政党の党員(議員)としてはどうにも歯切れの悪い、奥歯に物が挟まったような受け答えに映ります。

私は吉井氏のお話から3つ4つ・・と疑問が出てきますが、こちらの話は今回は割愛させていただきます。

RE:日本共産党の原子力政策に関する質問です(日本共産党中央委員会)
2014/3/29 http://bit.ly/2laKM9V

メールありがとうございました。
 そもそも原子力エネルギーは、人類にとって“第二の火”といわれるほど巨大なエネルギーで、その発見は人類史的な意義がありました。しかし、原子力の巨大なエネルギーの安全な利用のためには、エネルギーとともに生まれる強烈な放射線を制御するための技術の確立が不可欠でした。
 ところが、原子力エネルギーの利用は、不幸な歴史をたどりました。核兵器と潜水艦の動力炉という形で、最初に軍事に利用されてしまいました。現在の原発は、この潜水艦の動力炉の技術を使ったものです。「安全は二の次、三の次」という軍事利用から入り込んだ狭い枠組みの技術を利用した現在の原発の延長線上に、「より安全性の高い原発」などありえません。
 同時に、現在の原発からの撤退後に、この狭い枠組みから一旦抜け出し、初心に返って安全最優先で基礎研究を進めれば、将来にどんな新しい展開が起こりうるのかは、いまから予想するわけにはゆかないことです。「原子力の平和利用は幻想である」とか「人類と核は共存できない」と断定できるほど、人類は原子力についての研究を突き詰めてはいないと考えています。
 ですから、原子力エネルギーの平和的利用についての将来の人類の選択肢を、今から縛るようなことはしないというのが私たちの立場です。そこで新たな知見が得られれば、現在の原発の廃炉やすでに作られた核のゴミの処分にも役立つかもしれません。今の段階で可能とか不可能と決めつけるべきではないと考えています。



こちらは私の知人が共産党に宛てた質問(私が監修)で、「普通に原発ゼロですか?と聞いてもゼロと答えるから」として、共産党が聞かれたら嫌がるであろうキーワードを交えたものの返答です。

もちろん、嫌がると言っても別に悪口を書いたのではなくて、「即時ゼロであれば、当然将来も原発を活用することはないということでしょうか?」、あるいは「原発事故を経て、一般論として『核と人類は共存できない』とか『原子力の平和利用は幻想だ』という話がよく聞かれますがどう思いますか?」といった世間話程度のものです。

そしてこちらの返答からも、私はいろんな意味で疑問に思う点がたくさん出てきて困ってしまったのですが、こちらも今回は割愛させていただきます。

先ほどの吉井英勝氏への記者の質問もそうなのですが、どうにも共産党は、原発や原子力の平和利用が相当に困難である・諦めるという話を振られると、「科学を否定しない」というようなニュアンスで返すのですね。

世の中には安全性やコスト等の問題でお蔵入りになった技術や資源は無数にあるにもかかわらず、共産党は、ことに原子力の問題になると、その言葉の端々から妙なこだわりが垣間見えるのです。その反面、化石燃料(特に石炭)はあっさりとゼロと主張していたりするのですが。

結局これを否定してしまうと、長年の「社会主義でこその平和利用」の前提が崩れてしまうからでしょうか?そうであるとすれば、それは党としてのアイデンティティーの問題ということになりますか。でも、そこまでして平和利用にこだわる理由が、私としては今の段階では見えてこないのです。

‖ どう考えても共産党も一貫してないのだが・・

少なくとも私の認識では、共産党が一貫して原発に反対してきたという話は明らかな誤りであると思います。

共産党としては、日本の原子力平和利用路線を「戦争勢力のアメリカと一緒にやるからダメ」というようなことは主張していたことは確かです。共産党が1955年の原子力基本法に反対したのも、そのような理由によるものです。

福島原発事故の直後に、不破哲三氏(元衆議院議員・共産党議長)が、「共産党は一貫して原発に反対してきた」と仰っていますが、これでは片手落ちで、党として「アメリカ由来の原発(技術)」、あるいは「資本主義の原発」に一貫して反対してきましたというのであれば、一応話としては通らなくもないです。もちろん、このような説明を一般の方がどう受け止めるかは別ですが。

今回も相当簡略化した内容ですので、例えば共産党がウラン資源の効率化のために高速増殖炉に期待を寄せていたことや、固有安全炉の開発の推進(これらの話だけでも先のメールの内容と随分と矛盾してくるのですが・・)、あるいは核のゴミは太陽に捨てようとか、アメリカとの関係を解消して自由な原子力開発を進める(日米原子力協定の破棄)など、そのような話はとても紹介しきれません。

しかし不思議なことに、共産党は原発事故後はなぜか社民党と同様に、原発反対の元祖・総本山のような位置づけになっている。

科学的社会主義を標榜する政党が、反科学主義であり、ニセ左翼であるはずの「反(脱)原発」団体とデモや集会などに興じて、「直ちに原発ゼロ!」などと言って盛り上がっている。

それでは共産党は「反科学」、あるいは「ニセ左翼」の政党に衣替えしたのかと言えば、どうもそうではないらしい。

とにかく、明らかに一貫していないのに一貫したことになっているという意味では、原子力に対する認識や党としての歴史的な経緯の違いはあるとしても、共産党もまた社民党と同じであるということになると思います。

その6につづく

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反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その4 

‖ 一般論と俗論

前回の冒頭部分での引用文(2つ)の話になりますが、たしかに河合先生がおっしゃるように、一般論としては原発反対派は左翼、共産党(もしくは社民党)である、というような見方が社会通念上は通用しているように思います。原発に少しでも批判的なことを言えば、「お前は社民か共産党か」みたいなリアクションをされる方は、何もネットに限った話ではないのでしょう。

しかし、一般論としては「反(脱)原発=社民党・共産党」であるとしても、これは歴史的な事実関係から見れば明らかな俗説であり、全くの事実誤認(今回はこちらの記事の続きという位置づけでもあります)であるということは一言述べておかなければならないと思います。

社民・共産の両党は、原発事故が発生して以来、「一貫して原発反対の老舗政党」をPRして、それが一般有権者からの再評価を得ているという側面もありますが、俗論を嫌う「冷やし狸庵」としては、記事の進行上、これら「老舗の虚像」についても触れておくべきだろうと考えます。

そのようなわけで、以下に社民党(旧社会党)、共産党が戦後の原子力政策・平和利用とどのように関わってきたのかについて、簡略化、要点を絞った形ではありますが、私なりにまとめてみたいと思います。今回の話題は詳しくやると、とうてい10回程度では収まらないので無理ですw

‖ 唯一反対の社民党(社会党)は、もともと原発推進政党

社民党は、例えば公式サイトなどを見てみると、「唯一、脱原子力の立場を明確にしている政党」であると公言していますが、私にはこれがどうにもよくわかりません。

そもそも、日本の原子力政策の要、言わば憲法としての位置づけに相当する「原子力基本法(1955)」は、社民党の前身・社会党の協力によって成立したものです。

こちらについては、「法案作成のために中曽根氏らが海外視察をして、毎晩ホテルでステテコ姿で缶詰になって喧々諤々の議論の末に・・」という有名な話がありますが、こちらの「ら」というのは、当然社会党の議員(松前重義・志村茂治氏)も含まれるという意味ですね。

実際に当時の国会議事録を調べてみると、社会党は原子力の平和利用を推進するという立場であったことは明白です。原子力が第三の火、第二の産業革命の導火線であるとか、日本が原子力平和利用のメッカになるべきであるとか、なかなか頼もしいことを仰っています。

原発問題に関心のある方であれば、経済学者の有沢広巳(ありさわ・ひろみ 1896-1988)氏の名前はご存知であるかと思います。有沢氏といえば、戦後の経済復興を石炭や鉄鋼に振り向ける「傾斜生産方式」の提唱者としても有名なので、原発とは関係なしに、「教科書に載ってる人だ!」という認識の方が正しいのかもしれませんが。

有沢氏は専門の経済の枠にとどまらず、政治・政策・外交等にも通じた、各界に名の通る大先生であり、かつ筋金入りの原発推進論者でもあり、90歳を過ぎてなお、原発推進の重鎮(日本原子力産業会議会長、現:日本原子力産業協会)として強い影響力を保っていました。

有沢氏といえば、1986年のチェルノブイリ事故が起きる少し前に、「日本の原発は十分に安全なので、<安全のための>投資はオーバーデザインである」という発言が当時の反対派の怒りを買ったという話があるのですが、そもそも先生を原子力の表舞台に推薦したのが社会党(1956 初代原子力委員の1人として有沢氏を推薦、リンク先は原子力委員会のPDFファイル)ということになります。

‖ 路線変更はおそらく70年代以降、しかし・・

社会党はもともと原発には前向きであり、それが批判的な路線に転換したのは1970年代に入ってからでしょうか。このあたりの背景としては、重化学工業の進展の副作用として、社会問題としての環境問題がクローズアップされ始めた時期であり、そこから原子力の負の側面が社会党等を支持する市民団体の側からも指摘されるというような、すなわち下からの要求が大きかったように思います。

とはいえ、社会党はそこから原発反対一色だったのかと言えば必ずしもそうではありませんでした。

例えば1979年のアメリカ・スリーマイル、1986年のソ連・チェルノブイリを契機とした、日本における「反(脱)原発ブーム」に際しても、福間知之議員の著書、「原子力は悪魔の手先か―原子力の是非を問う」において、原発に懐疑的な世論や社会党の政策を徹底批判しています。

ちなみにこちらの書籍は、原発推進の雑誌とされている「エネルギーフォーラム」紙の普及啓発賞(1990)受賞作品です。

福間氏も含めて、党内には原発推進の議員も少なくなかったのです。

‖ 連立政権と原発

90年代に入ると、94年の「自社さ(自民・社会・さきがけ)」による連立政権の発足の際に、当時の村山富市首相は、党の方針を原発反対から容認に路線を変更しました。表向きは反対と主張してきたものの、実際に政権を担う立場になると(原発反対は)政権運営上の障害になる。そのような判断だったのでしょうか。

そして村山首相の辞任、連立が解消されて下野した後に、再び反対に転じることになります。なんだか野党になると元気になるみたいなw

ちなみに、自社さ政権での政策変更の判断を下した村山氏ご本人は、2011年の原発事故を経て、当時の判断は間違いだったと反省の弁を述べられています。

2000年代はどうなのかと言えば、こちらも連立政権の話で、自民党麻生内閣→民主・社民・国民新党の、いわゆる3党連立(2009、鳩山内閣)です。ちなみに社会党は1996年に解党となり、以後、現在の社民党となっています。

この時の社民党も社会党時代と同様に原発容認に転じており、いわゆる「鳩山イニシアチブ」による原発を重視したCO2削減政策に乗っかる形となりました。

鳩山政権・民主党に問う 本当に原発「大推進」でいいのか
2010年04月19日 http://archive.is/ASEIy #aera 文教大学 人間科学部・臨床心理学科 太田和敬教授のサイトより

一部抜粋

 4月5日、消費者庁会見室。温暖化対策としての原発利用について問われた同党党首の福島瑞穂少子化担当相は、そう断言した。「脱原発」は党の方針であり、個人の信念でもある。

 だが、そのちょうど1週間後の閣議。福島氏は今度は「原発推進」を掲げた「地球温暖化対策基本法案」を了承した。最初は「反対」と言っていた原子力安全委員会の人事案にも署名した。ともに、連立維持を優先した行動だった。

 「ダブルスタンダードだと支持者から批判されています」

 社民党政策審議会事務局の野崎哲次長は、苦しい状況を説明する。



そして間もなく、3.11を迎えることになるわけですが、そのときは連立を解消していたので、例によって反対になっていたのでしたw

‖ 党としての自己反省がない

今回は社民党(社会党)と原発について、その歴史的な経緯について簡単に説明してきましたが、こうやってまとめてみますと、社民党が一貫して原発に反対してきたとか、唯一明確に反対している政党というような謳い文句は相当怪しいぞ、ということがおわかりいただけるかと思います。

もともとは原発推進からスタートして、反対なのか賛成なのか、そのスタンスは状況次第で変わっていく。それなのになぜか一貫して原発に反対してきたことになっている。

たしかに村山氏は、当時の政策判断の誤りを認めて謝罪をされていますが、それは党の要職を離れた個人の見解に過ぎません。個人ではなく組織、すなわち社民党(社会党)として、戦後の原子力政策とどのように向き合ってきたのかというような、言わば批判的な検証作業がおそらくなされていない。

政策が一貫せず、状況次第で変わるのであれば、今は反対と言ってもまた変わるのだろう。自らを省みる期間を置くこと無く、安易に反対や一貫性をアピールする政党であればなおさらのことである。私はそのように考えています。

その5につづく

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反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その3 

‖ もちろん、小泉氏を積極的に評価した反対派もいる

もちろん、反対派が全て小泉氏を否定に回ったのかと言えば必ずしもそうではなくて、反対に高く評価をされた方もいました。例えば、高木仁三郎(原子力資料情報室 故人)先生の盟友で、原発反対運動に携わって20余年のキャリアを持つ、弁護士の河合弘之氏などがそうですね。

河合先生といえば、全国の原発の運転差止め訴訟や、ドキュメンタリー映画「日本と原発」、各種講演会・論文の執筆(当ブログでも河合先生の論文を参考資料としてよく使わせていただいています)等を通して、国民的な原発ゼロの機運を盛り上げるべく、多忙な毎日を過ごされています。

朝日新聞特別報道部 プロメテウスの罠 9
2015/3 http://bit.ly/2ll9Zmb

一部抜粋

 脱原発訴訟に取り組む弁護士の河合弘之(70)が演説でこういった。
 「いままで脱原発運動は私のような環境派か、脱原発専門家か、人権派か、左翼か、一部の限られた人たちだけでやってきた。それでは原発は止まらない。ぼくは20年間やってきたからそれを身に染みて感じている。保守・革新が力を合わせて脱原発する時代についになったんだ」



文藝春秋 2016年新年特別号 小泉純一郎独自録(常井健一)
2015年12月10日 http://bit.ly/2kPscbc

一部抜粋

 東電に対して刑事責任を追求してきた河合は、よく純一郎の講演行脚に同道し、満員のホールで聴衆に向かってこんなふうに唱えている。 
 「小泉さんが脱原発を言い出したことは歴史的に意義深い。今までの運動は左翼がかった人が多くて『共産党だ』、『アカだ』といわれた。我々、革新陣営、人権派、環境派だけじゃなくて、自民党、保守の人、しかも惜しまれつつやめた元総理が言うからより多くの人に本当だと信じてもらえる」



やはり河合先生も従来の原発反対派の弱点、あるいは限界のようなものを実感しており、そういう意味では小泉氏の転向は歓迎するべきであるというお考えのようです。従来とは違った視点、考え方を持った人で、かつ社会的な知名度や一定の影響力があればなおさらである。まあそんなところでしょうか。

しかし、河合先生は小泉氏が「保守の人」であるという認識のようですが、私は別にそうは思いません。首相時代から現在に至るまで、どうもこの方の人となりや発言からは、一般市民が小泉氏を特段「保守の政治家」として接していたとはちょっと考えにくいのです。

私としては、どちらかと言うと小泉氏は、「中道」のカテゴリーに属する人ではないのかな?と。まあこの辺りは、たとえ真ん中でも、「左から見たらみんな右翼なんだ」というような冗談めいた話もありますし、多分に感覚的な議論になるのでしょう。

それから、保守(右翼)と革新(左翼)が力を合わせるという話も、たしかに理屈としては理解できますが、所詮、明確な「右」とか「左」というのは、日本社会においてはどちらも少数派に違いありません。そういう意味では、たとえ両者がを手を取り合ってみせたところで、それ自体に何か特別な意味があるのかと言いますと、それはちょっと微妙な気もします。

話が少し脱線してしまいましたが、とにかく河合先生は小泉氏を絶賛しているということは確かです。

‖ 全ての原発反対派=左翼がかった人、ではもちろんない

とはいえ、やはり原発反対派は河合先生がおっしゃるところの「左翼がかった」思想をお持ちの方が多い。すなわち、私が過去に何度か述べてきたように、極端な「反米」であり、かつ「平和主義者」であり、あるいは「反経済」であったり・・。

断っておきますが、私が言いたいことは「原発反対派が全て左翼がかっている」というような意味ではないのです。

これは以前の、「反原発と脱原発の違い」と通じる話なのですが、私はあえて両者を区別した上で、「反原発=原理主義、ノイジー・マイノリティー(声の大きな少数派)」、「脱原発=柔軟戦略、サイレント・マジョリティー(声の小さな多数派)」というような定義付けをしています。

つまり、「左翼がかっている」タイプとは、先に挙げた「反原発」グループによく見られる傾向である、という意味です。この層は当然マイノリティーなので少数派ではありますが、とにかく声が大きな分、よく目立つので多数派に映る。そのようなイメージですね。だいたいこのタイプに当てはまる方が、原発問題に加えて「全ては繋がっている」として、ありとあらゆる話を「盛って」くる印象です。

私は以前から、このような「盛ってくる」行為を「余計な話」であると述べてきましたが、私と同様に、原発に反対でありながら、同時に原発反対論(運動)に対するその種の違和感をお持ちの方も少なくないのです。

西尾幹二 平和主義ではない脱原発 現代リスク文明論
2011/12 http://bit.ly/2kFPX5W

一部抜粋

 「反原発」を主張する『世界』掲載の論文や小出裕章氏とか広瀬隆氏とかの所論はどれも力をこめて何年にもわたり原発否定の科学的根拠を提示しつづけて来た人々の努力の結晶なので、その内容には説得力があり、事故が起こってしまった今、なにびとも簡単に反論できないリアリティがある。

・・

けれども一つだけ総じて反対派に共通していえるのは、大抵みな「平和主義者」だということである。



平智之 なぜ少数派に政治が動かされるのか?
2013/7 http://bit.ly/2kPorm8

一部抜粋

「原発ゼロ」を目指す人は決して少なくない。しかし、皆、さまざまな理念を持ち、いろいろな言葉を使う。「脱原発」、「反原発」、「卒原発」、……、原発反対が反米や反TPPにそのまま結びついている場合もある。こうした事態がさらに現実を難しいものにしている。
 原発反対を言う人々が、いくつもの陣営に分かれて、自らの正当性を主張している。いわば本家争いだ。それで本来は圧倒的な少数派である原発推進派に漁夫の利を与えてしまっている。・・
 実際、禁原発を主張する私自身が、脱原発を主張する方々から批判されることもあるのだ。脱原発を主張する方々の中には、反米の姿勢を貫く方もおられるが、私は反米ではない。

・・

反TPP、反消費税増税とセットでなければ脱原発を語る資格がないのだとすれば、原発推進の少数派の思う壺だろう。脱原発は同じでも、その他の政策のわずかなズレで一つになれない。



・・あるいは、反原発はすなわち、反米で、半農主義者でなければならないというのも原理主義だ。私は禁原発だが、反米ではないし、半農主義者でもない。
 しかし、現在の日本には、そうした原理主義の議論にしてしまいたがる傾向がある。



西尾氏と平先生の話を合わせると、原発反対派は底抜けな平和主義者であり、反米、反経済、反増税、反工業文明であったり・・。

つまり、彼らは良く言えば優しい(すぎる)人であり、悪く言えば理想主義者。どちらにしても一般社会では到底共有されそうにもない思想をお持ちの方が多い。そのような違和感は私も共有するところです。

この手の話では、他にも死刑反対であったり、反医療、大麻推進とか無農薬・有機栽培、捨て猫拾ってください・・とか、いろいろネタがあります。

やはり私も、私が定義するところの「反原発(=左翼がかった人たち)」のグループの「ノリ」にはどうにもついていけないなと、以前からしみじみそう思っているわけです。

‖ やはり「左翼がかった」反対派には、小泉氏の存在は都合が悪いのだろう

小泉氏の原発ゼロがニセモノであるという批判の根拠として、先の事例の通り、原発とは直接関連性のない話で「騙されるな~!」と警鐘を鳴らす論調が流行りましたが、私の印象ではこのような「場外乱闘」のような攻撃手段を仕掛ける方というのは、どうも「反原発」のグループに多いのではないかと、そのように考えています。

小泉氏のキャラクターは、明らかに私や諸先生方が定義する「反原発派」のイメージとは対極に位置する存在です。

小泉氏はどう考えても底抜けな平和主義者ではないですし、反米主義者でもない。よって、日米安保破棄や非武装中立、沖縄問題等とは接点がない。持論が「脱原発で経済成長」なので、経済成長には興味があるのでしょう。まあ捨て猫は知りませんが。

そういう意味では、小泉氏の存在はたとえ原発に反対であっても、いわゆる「反原発グループ」にとっては、原発問題に加え、+αとしてのある種の党派性や政治思想・ライフスタイル、そのようなものを広める際の障害にしかならない。つまり、そんな人に目立ってもらっては困る。知名度が高いならなおさらである・・。

小泉氏の原発ゼロ批判の背景には、そのような反対派の思惑もあったのではないのかと、そのように考えてます。

‖ 原子力ムラと反原発ムラ

福島原発事故の後、国内では原発推進のグループを指して「原子力ムラ」という言葉が流行りました。

その語源は諸説ありますが、「ムラ」の意味するところは、社会において数の上では決して多いとは言えない特定の利害関係者が、批判派や世論の影響をほとんど受けずに原子力政策を進めているという、ある種の村社会・排他的な構造を批判的に「ムラ」と表現しているわけです。

しかし、このような「ムラ」の存在は、きっと反対派のグループにもあるのだろうというのが私の印象ですね。まあ「反原発ムラ」みたいなものが、きっとあるのでしょう。

原発に反対であれば、とにかく「ホンモノの反対派はこうでなければならない」という特殊な思想を共有し、かつ排他性を持ち、攻撃的な気質でもある。数の上では少数派ではあるものの、それなりに声(影響力)の大きな人たちが同じ反対派の真偽を選別。そのような「ニセモノ狩り」の横行が、結果的に原発推進のアシストをしてしまっている。

こうじゃない反対派はニセモノだ!という、「ホンモノ・ニセモノの見分け方」みたいな話は、私の記憶では2012年くらいから流行りだした感じです。

しかし、このような傾向は今も根強いものがあるなと、私は今なお続く「狩り」の現場に出くわすたびに苦々しく思っているわけです。

その4につづく

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反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その2 

前回の話は、原発推進を通してきた小泉氏が、福島原発事故を契機として反対派に「転向」していった経緯について要約したものになります。

タイトルと記事の内容が噛み合ってくるのは、いよいよこれからです。

‖ 永田町の非常識、「変人」の小泉は、原発反対のニセモノだ!?

前回の話のとおり、小泉氏の転向は実質的には2011年以降ということになるのですが、世間一般の認識としては、大手マスコミに注目されるようになった2013年の秋ということになるのでしょう。原発反対の議論の中で小泉氏が話題になったのもほぼ同時期ということもあり、どちらにしてもそれまで小泉氏の活動は殆ど知られていなかったものと思われます。

小泉氏の転向について、これを原発反対派がどのように評価したのかと言えば、やはり否定的なニュアンスで受け取られた方が多かったように思います。すなわち、「ホンモノ」から見れば小泉純一郎の原発ゼロなど「ニセモノ」だから騙されるなという主張が結果的には勝ったということです。

いわゆる「ホンモノ」な原発反対派が指摘する、小泉氏がニセモノである理由は当時数多く見られました(それがまた反対派同士で議論の対象になっていた)が、代表的な論説を上げてみると、だいたいこんな感じであったと思います。

・小泉は靖国神社に参拝したことのある右翼じゃないか!
・小泉はアメリカ言いなりの対米従属・アメポチじゃないか!
・小泉は新自由主義者じゃないか!


これらが小泉氏がニセモノである主な理由であり、概ね原発反対派の中では共有された認識だったと思います。今でも小泉氏が講演会などでニュースの話題に出てくるたびに、上記のような理由で「騙されるな~!」と警鐘を鳴らす人は多いですね。

もちろん、私にはこれらの理由が小泉氏が「ニセモノ」であるという、説得力のある主張であるとは到底思えなかったのですが、でも皆さん、「なるほど、たしかに小泉はニセモノだ、危うく騙されるところだった!」なんてw

‖ 靖国参拝と原発

靖国参拝=右翼、原発反対のニセモノ。・・果たして靖国神社に参拝することが右翼、あるいは右翼的な行動なのでしょうか?それに、たとえ右翼だからと言って原発に反対してはダメな理由もないでしょう。

たしかに、個人的には原発反対派は「左翼がかった人が多い」という印象もありますし、そのような人たちは、実際保守とか右とか、たとえわずかでもそのような「香り」のする方に対して敵意をむき出しにされる方も多いです。

ちなみに、これは原発事故以前の話になりますが、私は東京見物(本命はアキバ巡りでしたがw)の一環として靖国神社に行ったことがあります。ということは、どうやら私はその時点で原発に反対する資格を失っていたようです。

‖ 親米と原発

アメリカは超大国とも呼ばれているとおり、何事においてもスケールが大きな国です。したがって、自国の政策、あるいは変更変更(政治・経済・安全保障面など)によって、必然的に周辺諸国にもそれなりの影響を及ぼします。もちろん、日本とアメリカは同盟関係にありますから、そこから受ける影響の度合いは、たとえそれが良い意味でも悪い意味でも否定できるものではないでしょう。

そのため、私もアメリカに対する評価は人によって様々あることは承知していますが、その賛否はともかくとして、日本人としてアメリカに対して一定程度の評価と言いますか、ある程度の肯定的な対応・節度のある付き合い方をすることが親米の定義なのでしょう。

そういう意味では、たしかに小泉氏は「親米派」とも言えるのでしょうが、そもそもアメリカと好意的に付き合うことがなぜ原発問題と関連性があるのかがわかりません。「なぜ原発に反対なのに親米なのだ!!」という疑問の組み立て方には相当無理があります。

ところが、原発に反対される方はかなりの確率で極端な反米志向の傾向で、先ほどの右翼の話と同様に、たとえわずかでもアメリカを肯定的に語るような人には敵意をむき出しにします。なんと言いますか、そのような方々は、例えばツイッターなどでも四六時中アメリカの悪口(+かなり下品な)を言ってなければ気が済まないような感じです。

‖ 新自由主義と原発

小泉氏の原発ゼロがニセモノだという最大の理由はこれでしょうかね。新自由主義者だからニセモノという主張。たしかにこれが一番目立ったような印象ですが。

しかし、そもそも「新自由主義」とは一体何なのか?私は経済のことはあまり良くわかりませんが、例えば小泉氏が総理時代に主張していた「民間にできることは民間に!」というような話から想像すると、これはおそらく、効率性(経済合理性)や競争力、労働生産性の向上に目を向けるという考え方なのでしょう。端的に言えば「小さな政府」とも言えるでしょうか。

そうであるならば、新自由主義と脱原発・原発ゼロと言うのは、これはニセモノどころかむしろ相性が良いとも言えます。

原発は典型的な規制産業と言いますか、とにかく国家の手厚い庇護がなければ1日として成り立たない、極めて脆弱な業界です。ゆりかごから墓場(原発建設から核のゴミ処分)まで、たとえ墓に入っても国家が関与し続けなければならない事業ということで、これは新自由主義、小さな政府とは対極に位置する存在と言っても過言ではありません。よって、新自由主義者が原発に反対することは当然とも言えると思います。

そういえば、小泉氏が原発ゼロで注目された当時、小泉内閣のブレーンも努めたことがある竹中平蔵氏も原発に批判的な話をされていましたけど、この方も新自由主義者と呼ばれていましたから、たしかにそういう意味では矛盾はしないでしょう。

しかし、やはり原発反対の方は反・新自由主義、それどころか反企業とか反経済のような主張をされる方も多い。例えば今回のような、経済合理性の視点から原発を批判することに対しては、敵意をむき出しにされる方が多いのが実情ですね。そのため、先の竹中氏は特にそうですが、維新の会の橋下徹氏、経済評論家の古賀茂明氏、元衆議院議員の平智之氏なども反対派からはあまり評判がよろしくなかったです。

新自由主義ネタで付け加えると、小泉氏は原発ゼロの講演会で、ご自身が郵政民営化を成功させても原発の問題(小泉氏は原発はカネ食い虫の産業等と批判)には気が付かなかった、考えが及ばなかったとして、毎回その話を取り上げ、自らの不明を恥じているようです。

小泉氏と竹中氏は、たしかに世間では以前から新自由主義者として名が通っており、かつ、原発批判派としては後発組ということになります。となれば、これはやはり、お二方は新自由主義者としては2流3流であったということなのでしょう。

‖ どうも反対派にとっては、小泉氏の存在は都合が悪い?

今回の小泉氏の話に限らず、原発に反対ならば靖国参拝(=右翼・保守系)などもってのほかで、とにかく反米主義、反・新自由主義者でなければならない・・。YOUTUBEなどにアップされている原発反対のデモや集会などの様子を見ていると、だいたいこういう話がセットになっています。

私にはその「でなければならない」理由がさっぱりわからないまま今日に至るわけですが、原発事故後、徐々に原発反対派の間でそのような考え方が広まっていったような印象ですね。いつの間にかと言いますか、私が気がついたのは2012年くらいでしたが、実はもっと早く、原発が爆発した直後からそのような兆候はあったのかもしれませんが。

そういう意味では、そのような主張を広めている、あるいは共有している原発反対派からすると、小泉氏のような人に原発を反対してもらっては困る。都合が悪い人物であるというような見方も出来るのではないかとも考えています。

その3につづく

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