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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

「原発反対に右も左もない」とはどういうことなのかについて考えてみる その4 

‖ 現状では原発推進の自民党が最も原発ゼロ社会の実現に近い

これまでの話を踏まえると、これは皮肉な話ではあるのですが、原発をこれからも続けると言っている自民党こそが、実は最も原発ゼロ社会の実現に近い位置にいる、と言っても良いのだろうと思います。

現実に政権を担っている自民党が原発を推進している以上、その気になればもちろんゼロも可能でしょう。小泉純一郎氏が常々、「自民党が変わるのが(原発をやめる)一番早い」と仰っていますが、それは確かにそのとおりだと思います。

もちろん、現状安倍総理が「今日(明日)から原発をやめます!」と宣言する見込みはほとんどない(というより、ゼロw)でしょうし、いくら政治的な意味で「近い」とはいえ、それは現実的な話ではないのでしょう。

断っておきますが、前々回の辺りから、私は、自民党は「政治の基礎体力がある」とか「バランスが取れている」とか、あるいは今回のように「原発ゼロに近い」等と述べてきたわけですが、これらは別に、私が自民党を応援しているとか、そういう意図ではまったくありません。

これまでの連載にお付き合いいただけた方であれば、「お前は安倍信者だろう!」みたいに変な誤解はされていないとは思いますが、一応念のため。

‖ 第二の道は「政権交代」だが・・

安倍総理・自民党は原発をやめる気はサラサラないし、他に手段があるとすれば、例えば「政権交代」ということになるでしょうね。

河合弘之 原発訴訟が社会を変える 集英社新書
2015/9 http://goo.gl/Nud7QB

一部抜粋

 「脱原発」のためにできることは、他にもあります。国政選挙で自民党以外の脱原発候補に投票して、民意を無視して原発の再稼働に突き進もうとしている自民党を痛撃することです。



しかし、世の中「原発ゼロ」だけ、いわゆるシングルイシューで政権交代が起きるのかと言えば、それはそんなに甘い話ではないですね。現実は原発即時ゼロでは即時落選。だいたいそんな結果にしかなっていません。

やはりここで大事になってくるのが、以前から再三述べてきた「政治の基礎体力・バランス感覚」なのだと思います。

エネルギー安全保障を考える上でも、特に外交・国家安全保障の論点は避けては通れない話なのですが、いわゆる「反原発活動家」は、この辺に致命的な欠陥を抱えているというのは、これも以前から指摘してきたとおりです。

これは私の記憶違いかもわかりませんが、2011年の原発事故直後、連合の古賀伸明会長(当時)が、「世論がそんなに原発に反対していたのなら、社民党や共産党が政権を取っていたはず」というような話をしていました。

社民党共産党が原発に反対してきたという話は一般論としては正しいが、歴史的には全くの誤り(反原発活動家の多くが左翼がかっているのでそう見えるだけ)であるという話はさておき、体力の無い政党の主張は、現実の政策に反映される可能性は低いです。仮に両党が「反原発の元祖」であったとしても、有権者の支持は得られなかったと思います。

ならば民進党はどうか、ということになりますが、この政党も最近の「市民連合」の影響か、野党共闘のスローガンのもと、自らの政治の基礎体力を急速に低下させていっている印象です。

私は政局ウォッチャーではないので詳細はよくわからないのですが、1年くらい前でしょうか。気がついたら「野党は共闘」という理念を掲げる市民連合という組織が出てきて、知らないうちに民進党がその影響下に置かれてしまっているのです。

しかしこの市民連合は、私には共闘というよりも「民進党の解体(社会党化)」が目的のようにも映ります。

原発反対派では市民連合の支持者も大勢いるわけですが、例えば彼らのツイートを見てみますと、「民進党から右翼・極右の議員を叩き出せ!」みたいな話で盛り上がっているわけです。

つい先日の長島昭久氏の離党についても、市民連合の指南役を務める山口二郎(法政大学教授)氏は、「歓迎すべきだ」とご満悦。執行部との考え方の違いから代表代行を辞任した細野豪志氏にも攻撃的なツイートをしています。

実は長島氏も「叩き出せ!」としてリストに上がっていた議員の1人で、他にも先ほどの細野氏もそうですし、前原誠司、岡田克也、松原仁、渡辺周、馬淵澄夫・・。このような方々も市民の皆さんの標的になってます。

それから、こちらもつい先日の話になりますが、「ネットがつらい」として市民連合に相談を持ちかけた野田佳彦氏。なんだか相談する相手を間違えているような。実は野田氏も・・w

そして、彼らの言動や行動がかなり過激といいますか、これは長島昭久氏が仰るところの「不寛容なリベラル」そのものだと思います。先ほどの右翼の基準にしても、自分たちが気に入らないからというような感じで、「左から見たらみんな右翼」というようなノリに近いですね。

民進党の社会党化。この件は私の個人的な印象・・で収まる話というよりも、実際問題として、既にいろいろな方面からそのような指摘があるわけです。55年体制に逆戻りとか、与野党のプロレスとか(プロレス団体に失礼ですが)。

もしそうなれば、自民党が政治を進め、野党はガス抜き役としてとにかく騒ぐだけ。当然そこには建設的な議論や政策提案は無い。長島氏の言葉を借りれば、行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ。そんな時代が今後常態化するということでしょうか。

‖ 世論動向に適した原発反対政党は今のところ存在しない

先にも述べたとおり、私の見立てでは、世論は右でも左でもない中道政党を支持し、当然そこには政治の基礎体力・バランス感覚が前提となっている。要は何をするにも最低限、一定程度の常識が必要だという話です。

そしてこの枠内であれば、世論も「原発ゼロ」にも乗って来ると思います。場合によっては「即時」もあり得るかもしれません。

ところが現実の野党はどうなのかと言えば、全体的には自民党を「極右政党」と規定して、とにかく左に舵を切っている印象ですね。「右翼対左翼の最終決戦」みたいなw

もしも、自民党と同様な「右でも左でもない」野党が力をつければ、そこでは原発ゼロ政策も生かされる(差別化)でしょうし、仮に政権交代が現実味を帯びてきた場合は、自民党は自らの生き残り策として原発を放棄するというシナリオも起こり得るかもしれません。この場合、自民党が生き延びて原発ゼロになる「第三の道」ということになるでしょうか。

たしかに、世論の7割8割は原発に反対とはいえ、かと言って政治や思想信条は右でも左でもない。

そのため、世論は反原発の活動家に見られがちな「底抜けな平和主義」には与しない。もちろんそれは極右とか軍国主義といった話ではまったくなくて、その真意は「平和主義ではない平和主義」である。

そして、現状ではそのような意見の受け皿となり得る政党が存在せず、それは当面成立する見込みもなさそうである。

すなわち、野党の政治の基礎体力が整わない間は、とりあえず原発は安泰。そういうことなのだろうと思います。

- おわり -

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「原発反対に右も左もない」とはどういうことなのかについて考えてみる その3 

‖ 分類上、自民党は保守政党だが・・

前回、私は「自民党は中道政党」と述べたわけですが、例えば政治学の入門書などを見てみますと、自民党は「保守政党」と記述されてる場合が多いですね。そして、当の自民党の議員も、「我々は保守の政党である」と仰っている。そういう意味では私の見立ては定義上は誤りと言えるでしょう。

しかし、これは厳密に言えば誤りとしても、一般論としては妥当な見立てだと思っています。

実際に、戦後の自民党は、保守政治を掲げながらも、医療・福祉や分配政策など、左派・革新系が主張する政策を常に先取りして実行してきた(日本は世界で最も成功した社会主義国という話も)わけですから。このような話は、先の「政治学入門」的なテキストや、あるいは各種教養講座などを通して、一般的に共有されていると言えるでしょう。

それを踏まえて、あえて自民党を保守とするならば、中道保守(穏健保守・右派)といったところでしょうか。なので、自民党を「中道政党」と言い切っても差し支えはないのだろうと思います。

‖ 右から左までを「目盛り」で考えてみる

右と左、保守と革新。これらの考え方の違いを簡単な目盛りで表すとすれば、それは、私であれば「0から10」までの図でイメージします。これは0に近いほど左、10に近いと右です。

これを踏まえて、前回と同様に、外交・安全保障の領域であれば、私としては下記のような見立てになります。

例えば自民党であれば、私は中道(右派)と定義しますが、これはもちろん、日米同盟を基軸とした専守防衛。国際的な環境の変化に対応し、安全保障体制の見直しを考える。かと言って軍事大国・核武装までは踏み込まない(と言うより出来ない)ので、「6」ないし「6.5」です。

次に、いわゆる左派と呼ばれる政党であれば、日米同盟は見直しと言うか破棄の方針。よく「話し合い」や「○○は人殺し~」というように、そもそも安全保障に理解があるのかどうか疑わしい発言も目立つ。一言で言えば非武装中立。よって「3」です。

ちなみに、右で「8」を超えるくらいになると、これは「極右」の領域ですね。予算や国際関係等を一切無視して、軍事大国・核武装に邁進する。あるいは軟弱とみなした政権を青年将校がクーデターを仕掛けるとか、私が想像する「保守」のイメージはこのあたりです。

それから、左で「2」より小さくなると、これは「極左」です。いわゆる暴力革命路線。政財界の要人暗殺や一般市民を巻き込んだテロ等。政権党としては、アメリカ(資本主義・帝国主義)に対抗するためには重武装・核武装も辞さない。

私の認識では右も左も度が過ぎれば暴力的で手に負えなくなるわけですが、実際問題として、今時こんなことを真面目に考えてる政党というのはおそらく存在しないでしょうし、そもそも有権者はほとんど相手にしないと思います。

それでは民進党はどうなのかと言えば、こちらはネットでの評判は何かと酷い感じ(w)なのですが、私としては中道?なのですね。

民進党と言えば、旧民主党政権下の最初期(鳩山政権)の頃は、「日米中正三角形(等距離外交)」という主張がありましたが、おそらくこの時がど真ん中で、「5」であったと思います。

しかしこれでは日米関係がうまく機能せず、世論の反発も起きたということで、そのスタンスをやや右寄りに修正し、菅・野田政権を通して「5.5~6」くらいになったのかなあと。

‖ しかし、今の民進党はわからない

先ほど、民進党は中道?と述べたわけですが、最近の「野党共闘」という話になってきてから、そのスタンスを急進的に左に向けているのではないのかと、どうもそんな気もします。

例えばアメリカ・トランプ大統領と安倍総理の日米首脳会談。いわゆる「ゴルフ外交」です。ここで蓮舫代表がゴルフはけしからん(ニュアンスとしてはおそらく属国・朝貢外交)みたいなことを言って安倍総理を批判したという話です。

一応、蓮舫代表は同盟の継続が確認されることは評価するとも述べていたのですが、どうにも揚げ足取りみたいなところはみっともないと言いますか。

なにしろトランプ大統領は、選挙期間中、日本(韓国)の核武装を容認するなどの常識外の発言を繰り返していたわけです。そこで日本の総理としては、当然その真意をただし、問題箇所の軌道修正を図る。そのような意味で親睦を深めるという外交手法は妥当であると言えるでしょう。共通の趣味から会話が生まれるというのは実社会でもよくある話です。

民進党の左傾化、あるいは社会党化の兆候は他にもいろいろあります。「ジャイアンとスネ夫」なんて話もありました。その他、報道等の情報を見聞きすると、やはり外交・安全保障面では以前より軟化の傾向なのかなと。そのうち某政党みたいに「アメリカ言いなりの政治をきっぱりと断ち切るべきです!」なんてことになったりしてw

つい先日の話であれば、長島昭久氏が離党を表明(本日離党届を提出)したという話もありました。これは既に、私のような外野の側による「気がする」程度の話ではないということなのでしょうか。

先ほどの目盛りの話で言えば、今の民進党は既に「5」に近く(あるいは若干割り込んだ)、今後も党内の保守系と言われる議員の離党が続くようになると、限りなく「3」に近づいていく。そんな印象です。

‖ 有権者が丁度良いと感じる数値(=政党)は?

前回の話の通り、私としては世論は中道政党を好むと思っていますし、すなわち目盛りで言えば5.5~6弱の幅くらいが丁度良い。そんな印象なのです。

自民党が支持されるというのは、やはり政治の基礎体力・バランスがそれなりに備わっているからなんでしょうね。

さて、現状、自民党以外で政治の体力とバランスを兼ね備えた政党が存在するのかと言えば、それはおそらく無いんじゃないでしょうか。

どうもにこの辺が、連日ワイドショーを賑わす閣僚や議員の失言や暴言、スキャンダル(?)が続いても、その割に内閣・政党支持率が落ちない(逆に上がったりw)理由なのかなと。私もツイッターで「これで内閣が吹っ飛ぶ!」なんてツイートをよく見ますけど、「そんなバカなw」って思いますもの。

・・いや、もちろん私は困りますよ。だって、自民党は原発をやめないじゃないですかw

その4につづく

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「原発反対に右も左もない」とはどういうことなのかについて考えてみる その2 

‖ 多数派は右でも左でもない

右も左も少数派にすぎない。それでは他に一体何があるのかといえば、それはもちろん、「右でも左でもない人」ですwこのような立ち位置を中間とか中道などという言い方もできるでしょう。

そして、世論の圧倒的な多数派は中道です。

こんなことは当たり前の話なのですが、ネットで四六時中「サヨクw」、あるいは「ネトウヨ!」などと言い争っていると、世の中は全て右と左で分けられるのだと考えてしまいがちになります。

私も含めて、一般的に中道に属している人たち(属しているというほど意識はしないでしょうが)は、極端に「右」とか「左」にこだわる主張を嫌います。一応、両陣営の話くらいは聞いてくれる人もいるかもわかりませんが、基本的には「あなた、それは極論・理想論だよw」として相手にされないでしょう。

この辺の話は、以前の「冷やし狸庵的選挙の考え方」でも述べたことではありますが、いわゆる政治の基礎体力(詳細についてはぜひ過去記事をお読みください)ですね。

‖ 右も左も政治の基礎体力に何らかの問題を抱えている

エネルギー安全保障の観点から政治を考えると、戦争やテロの防止に努め、国際関係・相互依存を深めるべきである。エネルギー資源に乏しい日本の立場上、そのように努力する以外の選択肢は実質的には存在しないとも言えるでしょう。

このような政治運営を行うにしても、右か左、どちらかに偏った思想に基づくと、短期間で破綻する可能性が高い。とりわけ国家安全保障の領域においては顕著ではないかと思います。

世の中で保守とか右を自称する方は、だいたい自主防衛や核武装を志向される方が多い印象です。たとえば「とにかくアメリカは頼りない・信用できないから独自の強靭な軍隊と核武装が必要だ」というような。

しかし、文字通りの日本軍を創設するには予算や人員の問題もあります。仮想敵国に見合った規模を整えるとして、一体どれだけの人的・経済的等のコストが必要になるのか。一説には自主防衛のコストは20兆円/年とも言われていますが、こういうものは仮想敵次第で大きく変動するでしょうし、最終的に世界を敵に回すのであればこれでも全然足りないでしょう。

核武装にしても、予算や技術以上に政治的なハードルが極めて高く、そう簡単なことではありません。日本では一朝一夕で核武装が可能であるかのような言説も少なくありませんが、いわゆる「日本核武装論」の大半は妄想です。

そして日本の一方的な核開発は、アジア太平洋地域の極度の不安定化を招き、アメリカや国際社会との関係も悪化することが予想されます。極端な話、日本が北朝鮮になれば(同じことをすれば)核兵器を持てるとは言っても、現状の国際的な地位・信用を放棄してまで手に入れる理由はないでしょう。

それでは左翼、革新の人たちはどうかと言えば、これはいわゆる、絵に描いたような平和主義、非武装中立的な主張が多いですね。そもそも自衛隊は憲法違反で人殺しの訓練をしている、北朝鮮にリアルな脅威は存在しない・・。まあそんな感じです。

左派の人たちは、様々なテーマにおいて、よく「暴力ではなく話し合いで解決を!」等と主張しています。

これではまるで、日本の方針が暴力の行使を前提とした恫喝外交のような物言いですが、言うまでもなく、日本は何事も話し合いを心がけている平和主義国家です。実際に各国とは常に話し合ってます(意見の対立が生じても、少なくとも対話のドアは開けておく)し、そもそも恫喝するにもまともな軍隊が存在しない以上は無理です。

先ほどの自衛隊の話で言えば、どこかの政党の議員の方がとあるテレビ番組で、「われわれは自衛隊は憲法違反という認識だ」と発言して、そこで司会者の方が「じゃあ政権を取った後で有事が起きた場合は?」と問われると、「そのときは出動要請します」と返答していました。

「君たちは違憲の存在だが、有事の際は体を張ってくれw」というのは身勝手にすぎるでしょうし、それ以前に、違法性を認識した上で自衛隊を派遣するというのは、いつぞやの「立憲主義ってなんだ!?」というような話です。

このような感じで、国政というのは理念優先で右か左にかじを切りすぎると、一方的に国益を損なう可能性が高いです。

何事も体が資本であり、すなわち基礎体力、あるいはバランス感覚に優れていることが大切です。

‖ 世論は中道政党を好む

そして有権者もそのように考え、基本的には中間的な政策を掲げる政党を選択する傾向にあります。

実際問題として、例えば国政選挙であれば、やはり中道的な政党が多数派を占め、反面、「極端な」タカ派的、あるいは平和主義的な主張を掲げる政党は極めて少数派といった感じです。

何かと「自民党が強い」と言われるのも、この政党もまた、伝統的には中道的な政策を提示し、それを実行してきたというところも作用しているのでしょう。

こんなことを言うと、「自民党は極右政党じゃないか!」なんて机を叩いて怒る方もいらっしゃるかもしれませんが、私の感覚では中道です。以前の「左から見ればみんな右翼」という意味であれば、たしかに自民党は極右政党と言えるのかもしれませんが、やはりこの辺は感覚の問題なのだと思います。

そういえば、反対に右翼の方で、「安倍内閣・自民党は左翼だ!」なんて意見をたまに見かけます。そりゃまあ、たしかに独自の軍隊や核武装を検討しないという意味では物足りない、だから左翼なんだとも言えるのでしょうか。

左翼からは極右、右翼からは左翼と言われている。ここは間を取って、やはり自民党は中道政党なんじゃないでしょうかw

その3につづく

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「原発反対に右も左もない」とはどういうことなのかについて考えてみる その1 

‖ 原発反対に右も左もない、という論説には一定の合理性がある

2011年の福島原発事故が発生した直後のことですが、「原発の是非(反対)に右も左もない」というような論説が流行りだしました。

このような論説は、保守・左派系の論壇や、テレビやインターネット上の議論など、様々な界隈で話題になっていたので、覚えていらっしゃる方も多いかと思います。

原発推進が保守で反対が左派という構図は、たしかに一般論としては通用すると言える(ただし、歴史的な事実を踏まえて考えれば誤り)でしょう。

しかし、本来原発に反対することは、特に政治思想上の問題ではない(当然ですがw)ので、なにも左の人が原発に反対だからといって、その対抗意識として右だから賛成と言った、そのような稚拙な行動基準をとる必要はないのでしょう。左の人が赤信号で止まったら、右の人は対抗して渡るんでしょうか?

もちろん、このような話は逆もまた然りということは言うまでもありませんが。

そのような意味で、右も左も反対しようじゃないかというような話は、たしかに考え方としては間違いではないと思います。

‖ 右も左もないから左に軌道修正

しかし、3.11を契機とした原発反対論(運動)は、その方向性は徐々に「左」に寄っていくことになります。

この辺の話は今まで再三に渡って述べてきましたが、原発問題に絡めて、本来原発とは直接関係のない話を「盛ってくる」人たちの存在。全ては繋がっているとして、極端な反米・反戦思想から捨て猫の世話に至るまで、とにかく議論を大盛りにしたがる厄介な人たちですね。

あるいは元祖電脳アイドルで、原発事故をきっかけに反対派に転じた千葉麗子氏の「さよならパヨク」では、ご自身の体験談として原発反対運動が共産党に乗っ取られた(反対のビラと一緒に赤旗を配った)とか、あるいは靖国神社に参拝したら裏切り者扱いされるなどして、ついには自暴自棄になってしまうというような話もありました。

一昔前の共産党は、社会運動のヘゲモニー(主導権)を得られなければ、とにかく「割る」手法が得意であったというがありますが、今回の場合は主導的な立場になることに成功したということでしょうか。

たしかに3.11後の原発反対の議論は、特に共産党(次点として社民党)がリードするような形になっています。

著名な反原発の活動家や知識人にしても、共産、あるいは社民党の党員、支持者とまではいかないとしても、やはり左翼がかった人が多い印象なので、いわゆる左翼政党とは様々な分野で話が合うというのもあるのかもしれません。この辺りは、以前の小泉氏の話題で触れてきたところではありますが。

河合弘之先生も常々、原発は「左翼がかった人たち」だけで反対しても限界があるというようなことを仰っているという話も以前に述べたとおりではありますが、現状、「原発反対は左翼の専売特許じゃないか」と批判されても返す言葉がないといったところでしょう。

‖ 現実には右も左も少数派

最近の記事はなにかと「左翼がかった人たち」への批判が多かったので、もしかすると私のことを「右からの脱原発」などと認識されている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは全くの誤解です。

私は以前の記事で、右も左も社会の少数派なので両者が手を組んだところで微妙であるという記述の通り、原発問題に際して「右」と「左」が共闘するべきであるというような話には全く興味が無いのです。なぜなら少数派同士が共闘したところで少数派には変わりないわけですから。

この辺の話は注意する必要があると思うのですが、特にネットに過度に依存するようになると、とかくこの世の中は、全て「右と左」の二分論で分けられるのだという錯覚に陥りがちになります。

ツイッターやまとめブログなどで飛び交う「サヨク」、あるいは「ネトウヨ」といった具合に、とにかく自分にとって気に入らない相手をサヨク(ネトウヨ)とレッテルを貼ってぶった切る。

私もよく言われますよ。原発に反対だから右の側から「サヨク!」と罵られ、左の側からは「ネトウヨ!」といった具合にw

余談はさておき、こういう悪い癖がついてしまうと、日本社会はさながら「右翼と左翼」のみで構成されているというような認識に陥りがちになります。

本来はどちらも少数派であるにもかかわらずです。

その2に続く

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反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その6 

‖ 日本を覆う「原発反対神話」のウソ

・・とまあこのような感じで、一般論としては「反(脱)原発=社民党・共産党」であるとしても、歴史的な事実関係から見ればそれは明らかな誤りである。そういうことですね。

社民党や共産党による、「原発反対の老舗」などという武勇伝は、私から見れば嘘っぱちもいいところです。

福島の原発事故で「安全神話」が崩壊したなんて言われてますけど、今度は誰々が一貫して反対してきたという「反対神話」が作られてしまっている。これは良くないですよね。

そのようなわけで、例えば原発事故を機に原発反対の立場になったとしても、だからといって左翼政党に傾倒する必要性は全くないのです。

あるいは右とか保守を自認される方にしても、右翼団体・一水会の鈴木邦男氏が仰るところの、左翼への対抗意識としての原発推進(鈴木氏は原発反対なのですが、いわゆる右派の特徴をそのように分析)みたいな、そのような行動に走る必要もないと思います。

‖ 「左翼」と「左翼がかった人」の親和性

ただし、以前からブログの記事でも取り上げている河合弘之先生も仰るように、原発反対派は「左翼がかった人」が多いことは確かでしょう。つまり、先の「底抜けの平和主義で反米主義、半農的な原理主義者云々・・」といった話ですね。

このような人たちは、たとえ既存の「左翼政党」の熱心な支持者・党員ではないとしても、そのような政党の方向性と考え方が一致する部分も多いのでしょう。

彼らの関係を端的に表せば、「左翼政党≒左翼がかった人」みたいな感じでしょうか。原発反対派の中の少数派(ノイジー・マイノリティー)は特にそのような印象なので、一般的には「原発反対派は左翼だ、共産党(社民党)だ」と思われても仕方がない面もあるのでしょうね。

反対派の主導的な人たちは、確かに左翼がかっているので、どうしても話の流れが左に寄ってしまう。原発に加えて余計な話を盛ってしまいがちになる。

そのため、原発問題という、利害関係が複雑に絡み合っているために、平時においては惰性力(推進)が作用し、かつ一歩誤れば国難に発展しかねないようなきわどい話であっても、結局は少数・零細政党の守備範囲として定着してしまう。これでは原発は無くならないでしょうね。

‖ 小泉氏の「原発ゼロ宣言」の意義

そのような意味において、小泉氏(久しぶりに名前が出てきましたw)の「原発ゼロ」宣言は大変意義のあるものであったと、私は考えています。小泉氏のように、キャラクターとして右でも左でもない方が「原発はやめるべきだ」と語ってくださることで、本来原発問題は誰が考えても良いことなのだと、そのような当たり前のことを再認識させてくれるからです。

小泉氏の原発ゼロ運動は、かれこれ6年近くになりますが、私のような者がどうこう言うのも恐縮ではあるのですが、小泉氏は大変真面目に活動しているなという印象です。

原発事故直後から現在に至るまで、南は九州、北は北海道(今年の3月11日には札幌で講演を予定)と、様々な地域に足を運び、例の小泉節による原発ゼロの辻説法を続けています。

講演会では単に同じことを話すのではなくて、事前に足を運ぶ地域の経済や産業、偉人や文化などの情報を頭に入れておき、講演の際の余談として活用する。小泉氏は和歌や俳句などにも通じているので、特にそのような話をする機会も多いですね。

特に小泉氏は、本題以上に余談を重要視している(余談が印象に残ることが大事なのだそうです)ようですが、確かに講演の際の随所に見られる、常に聴衆の気を引くための気配りや、言葉の引き出しの使い方。この辺りの上手さは、現役を退いたとはいえ、さすがに稀代の政治家という感じがします。

小泉氏は原発関連で気になった本があれば、早急に30冊ほど取り寄せて、「これ良いよ!」なんて知人に配ることもあるそうです。たしか本のタイトルは「九電と原発」だったと記憶していますが。

ご自身が推している、再生可能エネルギー。例えば太陽光の落成式であれば、たとえごく少規模のものであっても参加して講演を行う。このようなことは、何事においても華やかな場所に慣れ親しんだ総理経験者としては異例のことかもしれません。

あるいは安倍首相に「原発ゼロ」を直談判して無視されるとか。こんなことをしたら安倍首相は苦笑いするだけで、同時に周囲からの失笑も買うでしょうし、傍から見ると結構恥ずかしいですw到底私には出来ないことです。

とにかく、思い立ったら即行動に移そうとする姿勢は、現役時代と変わらないなと思います。

‖ 小泉氏の「ホンモノ・ニセモノ」論争には与しない

原発問題において小泉氏が登場して以来、反対派陣営では「小泉はホンモノかニセモノか?」という論争に発展したわけですが、私はそもそも、ホンモノ・ニセモノといったことには全く関心がないのですね。

ただし、これは以前の記事でも述べてきたことではありますが、私は人や組織の完全性を信用していません。人は過ちを犯すものであり、組織は必ず腐敗する。そのため、元来不完全である人間と巨大技術の組み合わせというのは、相性としてはあまり良いものではないのだろうという話です。

そういう意味では、小泉氏が講演の際に必ず仰る、「過ちは改むるに憚ることなかれ(論語)」、「人生の本舞台は常に将来にあり(尾崎行雄)」、「老人だって大志を抱いても良い」という言葉には、ある種の人間らしさを感じることは確かですね。

それにくらべて、過去の歴史を捏造してまで一貫性や無謬性(=むびゅうせい・誤りがないこと)を強調する人や組織というものは、私は基本的に警戒します。

‖ 小泉氏に「ぶっ壊してほしい」ものと、これまでの活動に対する敬意

先ほども述べたとおりではありますが、私が小泉氏の登場に意義を見出している理由は、その存在が、本来、誰もが原発に反対と言っても良いという、ごく当たり前の感覚を再認識してもらうためには不可欠であるということに尽きます。どうしても原発問題は、話の方向性が「左」に流れがちになり、一般人にはハードルが高くなってしまう傾向があるのでなおさらです。

語弊があるかもわかりませんが、ある意味で「反原発をぶっこわす」ことで、原発問題をもっと開かれたものにする。こういう方向に進まなければ原発はなかなかやめられないだろうなと、私は小泉氏が注目されるようになった2013年ころから、そのようなことを考えているわけです。

もっとも、小泉氏もご自身が原発に反対して、同じ反対派から「小泉はニセモノだ」と批判にさらされることは想定外だったように思います。反対活動をして推進派から批判されるならともかく、同時に反対派からも石を投げられるわけですから。やはりこのような状況は、ご本人にとってはあまり気分が良いものではないでしょう。

小泉氏は原発に反対するようになって、改めて原発に反対することの難しさを実感されたのではないでしょうか。この問題には、単なる「推進・反対」では表せない、政治思想や党派性、イデオロギー等が多分に絡んでくるわけですから。何か一言言えば、「ニセモノだ、騙されるな!」ですからね。

ですので、もし小泉氏も反対運動に疲れたと思われたのなら、私はその時点で休まれても良いと思います。

自民党の政治家として楽な老後を選ばなかった、事故が起きても過去にほっかむりしていたほうが確実に充実していたであろうという意味で、私はこれまでの小泉氏の「非常識な行動」を高く評価しています。

- おわり -

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