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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

野党共闘とご都合主義 その4 - 新潟県・米山隆一知事の辞職の報を受けて - 

‖ 昨日の今日ですが、米山知事はやはり辞職へ

新潟県の米山隆一知事。昨日の「醜聞会見」で、「これはアカンな」と思っていましたが、やはりそういう流れになりました。

米山隆一新潟知事が辞職表明 女性問題「信頼裏切った」
2018年4月18日 https://archive.li/W43rU #朝日新聞

一部抜粋

新潟県の米山隆一知事(50)は18日、県議会に辞職願を提出した。同日夕、県庁で臨時記者会見を開き、「県政に混乱をきたした。知事の職を辞させていただいた。本当に多くの方の信頼を裏切った、心よりお詫(わ)び申し上げたい。申し訳ありませんでした」と述べた。自身の女性問題で週刊文春の取材を受け、周囲に辞意を伝えていた。
 米山氏は15日に取材を受け、支援者らに報告。16日、知事選で支援する立場の共産、社民党などの関係者が辞任を求めることで一致し、米山氏に伝えていた。



【新潟知事女性問題】 米山隆一知事「金銭で好きになってもらおうと思った」「出会い系サイト使うこと自体は悪くない」
2018/4/18 https://archive.li/vwEhT #産経ニュース

一部抜粋

女性問題が取り沙汰されている新潟県の米山隆一知事(50)は辞職を正式表明した18日夕の臨時記者会見で、金銭の授受を伴う女性関係について「それによって、より好きになってもらおうと思っていた」と説明した。



私としては、「中年男性の痴話事」なんて知ったことではありませんが、米山氏は、19日発売予定の週刊文春の記事を大筋で認めている(早刷りを入手して観念した?)そうなので、これはもはや、まともに公務を続けられるような状況ではなく、辞職は必然と言えます。

‖ 米山氏の擁護を試みる、原発反対派の無理筋を嘆く

このようなネタに対し、原発反対派からは、ファースト・インプレッションとして陰謀論を指摘する声が出てくるのが定番です。安倍総理が裏から手を回して、あるいは東電や公安等が暗躍してスキャンダルをでっち上げたとか。

【速報】新潟県知事の米山隆一が女性問題で辞職を表明。目に付いた陰謀論者等をまとめるので普通の反応まとめは他の人に任せる。
2018/4/17 https://bit.ly/2qG8l01 #togetter

反対派は常に見えない誰かと戦っている傾向なので、こういう話は食いつきが良いのですね。そろそろいい加減にしてほしいと思いますw

それから、「フランスでは政治とプライベートは別」なんて、いわゆる出羽守(でわのかみ)的な手法で米山氏を擁護する方も目に付きます。こちらの場合は陰謀論とは違い、幾分知的さが見受けられます。

しかし、そのようなことを仰る方は、仮に今回の問題の主役が安倍首相であったとすると、やはり躊躇なく袋叩きにしてたでしょうw

私はご都合主義は嫌いです。良いものは良い、悪いものは悪い。自分達の都合で二重基準を繰り返すと、次第に世間の信用を失っていくと考えます。

‖ いまだに米山氏が「脱原発候補」として担がれた理由がわからない

米山氏については、当ブログでも批判的・懐疑論的な内容で、何度か記事にしたことがあります。

そもそも論として、原発事故後も「鉄腕アトムもドラえもんも原子力、原発賛成」などと仰っていた方が、知事選を前に突如として「脱原発」に転身。この時点でおかしいですよね。

その上、反原発団体や「野党共闘」の支持者からは、知らないはずのない米山氏の過去については一切を不問に。

脱原発知事の人選としては適切とは思えず、それを指摘する人は皆無。米山氏の擁立劇については、私は二重の意味で違和感を感じました。

日本原子力学会 会報誌 アトモス 2017/10月号 巻頭言 米山隆一 福島第一原発事故の科学的検証が日本の原子力の科学力・技術力を向上させる(PDFファイル)
2017/10 http://bit.ly/2k21ZHW

新潟知事、再稼働の地元同意範囲拡大に慎重
2018/4/5 https://archive.li/BtCXj #日本経済新聞

最近の米山氏の動向としては、原発推進の会報誌への、「脱原発知事」としては不可解なタイトル、内容の論文の寄稿。あるいは茨城県(東海第二原発)に端を発した、再稼働の同意手続き、事実上の地元範囲の拡大の議論に際し、新潟県としては実施に否定的な見解を述べています。

私としては米山氏の真意をはかりかねていたところで、今日の辞職会見です。政策論とは全く異なる問題での辞職は、私も想定外でした。

‖ ポスト米山氏の適性は

新潟県知事選では、米山氏以外では、田中眞紀子氏も候補として上がっていたようです。

しかし、田中氏といえば、かつて科学技術庁長官として、青森県に核燃料サイクルの継続を確約(PDF)した張本人であり、それなのに「脱原発知事」なんてのは悪い冗談としか思えませんw案の定、ツイッターでは、ポスト米山として田中氏の名前も上がっているようですが、やめたほうが良いと思います。

私は政治のことはよくわからないので、章題のポスト米山氏について、具体的な人物名を挙げることはできません。

ただし、その適性のようなものを少々考えてみますと、やはり、原発の是非にかかわらず、もはや原発事故以前に戻ることはできないという現状認識が出来る方、ということになるでしょう。

原発反対派からは、特に自民党・安倍内閣は原発推進と揶揄されているわけですが、実態はそうとも言い切れないと思います。

政権交代と野党不在、安定した政権基盤の上で、原発の復権に期待した「原子力ムラ」からは、安倍内閣は議論から逃げているとして、事実として評判が悪いのです。

原発のように、建設から廃炉措置を含めたリードタイムが長い事業は、安倍総理が好んで用いる「切れ目のない」推進をしなければ、民間事業としては立ち行かなくなるリスクがあります。そのためここ数年、原発産業は安倍総理を急かし続けているわけですが、期待通りとはなっていません。

つまり、たとえ今後も原発政策は継続するとしても、事故以前の「ルネサンス」にはなり得ず、現状維持にもならず、低迷の時代は避けられない。そして、原発の存在を前提とする立地県(自治体)も、既に期待したくても出来なくなる時代に入っています。

ポスト米山氏の適性としては、原発の縮小を前提として、それに対応した経済・産業振興策の推進。再稼働の是非はさておき、泉田・米山県政による、「原発事故の検証作業」の継続。これらが基本になると思います。原発立地県としての将来像と、県民が不安視する再稼働という直近の問題。どちらも避けては通れない論点でしょう。

そして、やはりツイッターで所構わずケンカを売らない、頭より先に下半身が動くタイプは論外でしょうねw

人柄を含め、身体検査は入念に・・。

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【動画】 追跡!アートの島に問題勃発、太陽光発電でトラブル(香川県) 

追跡!アートの島に問題勃発、太陽光発電でトラブル(香川県)
2017/12/13 https://archive.is/UI2Rx #tbs

なぜ?環境に優しい“再生可能エネルギー"計画が巻き起こしたものとは?スクープ…驚きのデータ





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冷やし狸庵的・核兵器禁止条約懐疑論 その8 

連載は私の予想以上の長丁場になりましたが、今回で一区切りとなります。

‖ 反核論と原子力利用の性善説

ここで、「たしかに平和利用の悪用は問題だが、とにかくお互いを信じることが大切」というご意見もあると思います。たしかに、「これにはこういう抜け道がある・・」というように、私のように何かにつけて、ある意味、性悪説で論じる方法は世知辛いとも言えるのかも知れません。

私はその5で、日本を含めた反核論は、元来、原子力は良いものと考えていた(いる)ことを説明しました。すなわち、「原子力-軍事利用=平和利用」という、平和利用の方程式。原子力の不幸は最初に軍事に使われたことにあり、これを取り除き、理性によって「核」と接することで、必然的に人類は平和的な利益のみを享受できるという論理です。

つまり、既存の反核論は、基本的には性善説の立場で原子力を語っているとも言えるのでしょう。どうりで私とは考え方が合わないわけです。

私の場合は、理性のような抽象的な話は基本的には信用していませんので、先のような「反核あるある」を見る度に体が痒くなってきますwなぜ反核派はそこまで人を信用できるのだろうと。国際社会が一度平和を決め込んだ途端、それが未来永劫続くかと言えば、それは過去の歴史から見ても都合が良すぎる話ではないかと。

‖ 平和利用の老舗ですら、未だ信用されていない

それでも、そんな人間不信の私だって、たまには人を信じてみたい気持ちにもなります。信じなければ物事は先に進まないこともまた事実です。

・・でも、やっぱりダメなんですねw

他人を信じるという意味では、原子力平和利用について、以前より、いわば核兵器禁止条約の精神・主旨を先取りする形で、一切の軍事利用を廃して平和利用のみに専念し続けている国が存在します。しかし、それでも、特に反核・反原発団体から全く信用されていない実例があります。

読者の皆さんもお気づきのことだと思いますが、それは日本ですね。

日本は、国内法の原子力基本法に、国是としての非核三原則。二国間条約の原子力協定に、多国間条約のNPT、IAEA(+追加議定書)、PTBT、CTBT(こちらは未発効)等、数々の核不拡散・原子力平和利用の規定を意欲的に取り組み、厳守している。事故の件はさておき、日本が平和利用の優等生であることは自他共に認める事実です。

それにもかかわらず、国内外の反核団体、あるいは周辺国等からは、「日本は明日にでも核武装するに違いない」という批判が絶えない。日本は再処理技術(2018/4/1 末尾に追記あり)を有しており、使用済み燃料から得られた国内外の47トンのプルトニウムを根拠に、「その気になれば核兵器を6000発作れる」とか。

日本の核武装を疑う論拠として、過去の政治家の発言録などが用いられることも多々あります。古くは岸信介、佐藤栄作、中曽根康弘(何れも元首相)。原発事故後であれば、自民党の石破茂氏が、将来の核武装のために原発を維持するべきであるという趣旨の自説を述べ、国内外で物議を醸したこともあります。

もちろん、私もこれらの懸念材料ついては、全く気にならないわけでもありません。

しかし、日本の場合は、実際に核武装を国策として推進し、核物質を不正に使用したとか、そのようなことは今まで一切行われたことはありません。核保有の潜在的な技術(短期間ではとても作れませんが)や不規則発言はともかくとして、日本は自ら率先して、先の国内法や条約等に見られるように、その手足を縛ってきた経緯があります。

日本は今の段階で核兵器禁止条約に加盟する予定はない。しかし、日本は以前より、原子力の平和利用について、条約の精神を先行する形で実践している。ところが、「日本は絶対に信用できない!」という話になる。

ということは、仮に世界各国が核兵器禁止条約を批准するような形になったとしても、結局は誰も信用できない、「世界相互不信」の時代を迎えることになると思うのです。

例えば北朝鮮やイラン、サウジアラビア等が条約加盟後、平和利用の権利として原発を扱うとして、私達は彼らを信用することが出来るのでしょうか。平和なのですから、当然ウラン濃縮や再処理もセットで推進するでしょう。

こちらについて、例えば先進国で燃料を供給・管理すればよいという考え方では、これではその6、あるいは7で論じた「平和利用のアパルトヘイト」であり、条約の精神に反することになります。しかし、現実には、平和利用の原発を求めつつ、有事の際の核保有について言及している国は少なくありません。

ここで、「いや、お前たち日本人だけが信用出来ないのだ」と反論されると、私としてはぐうの音も出ないのですがw

‖ 理性の有無に関わりなく、核のリスクはつきまとう

結局のところ、人類が原子力を平和利用のみに専念できるのかは、ひとえに理性であり、すなわち、不確かな人間の意思の問題になります。

そして、これが将来、何らかの事情で破綻し、コインが裏返る可能性は否定できません。

ひとたび核兵器を持つ国が出現すると、それに追随する流れが生じる。それぞれの核保有国は当初はその気はないとしても、例えば外交・通商問題等に端を発する国家間の相互不信により、思い込みや偶発、誤認等による核戦争のリスクも生じます。これは現在でも言えることですが。

そして、たとえ平和利用に専念したところで、原発であれば設計や操作等の人的なミスによって私達の生活を脅かす可能性もつきまといます。

最後はテロリズムや自然災害のような、想定外の問題。原子力技術が予期せぬ勢力・あるいは自然災害等によって危機が生じるリスク。原子力はその利用法を問わず、ひとたび問題が生じれば、社会環境に深刻なダメージを与えかねません。

‖ 核兵器禁止条約が「核」全般のリスクを高める矛盾

核兵器禁止条約について、私なりの検証とその結論としては、「これでは核物質が増える方向にしか進まない」ということでした。

条約の前文では、「廃絶こそが核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法」と謳われているわけですが、同時に、平和利用を推進する権利は差別されないわけです。

そうであるならば、核兵器が二度と使われないという絶対的な目標は、平和利用としての原子力技術の普及促進によって、結局は確率論的な問題に転化してしまう。核兵器を絶対に禁止するための条約が、かえってその使用や、核全般のリスクを高める結果を招くのではないか?私はそう懸念しています。

そして、特に日本の反核団体は、福島の「想定外」で、平和利用の抱える様々な矛盾を無視できないことを実感されたはず。しかし、核兵器禁止条約の「譲れない権利」を容認し、結局は反核=核兵器のみに反対という、従来のスタイルに戻ってしまうとすれば、私は大変残念に思います。

‖ 男女平等と核軍縮の関連性についての疑問

前文の下段には、およそ核兵器との関連性があるとは思えない、私にはどうにも理解し難い記述が見られます。

前文下段より抜粋

平等かつ完全で効果的な女性と男性双方の参加は持続性ある平和と安全の促進・達成の重要な要素であることを認識し、核軍縮における女性の効果的な参加の支持と強化に取り組む。



核問題には平等かつ完全な男女の参加が大切で、特に女性の存在は欠かせない。そのようなことが書かれているわけですが、これはいかがなものかと思います。

私は別に、男女平等という考え方を問題としているのではなく、これはむしろ良いことだと考えています。しかし、自分で良いと思っていることでも、他人に強制するような言動はひかえるべきだとも考えています。

アメリカのニクソン元大統領は、ご自身の回顧録で、それぞれの国にはそれに適した近代化のスピードがあり、そこには紆余曲折があるのは当然であると説いているそうです。

つまり、男女平等は素晴らしいとしても、それを受け入れる側の政治的・文化的な背景を無視して、一律に推し進めれば良いわけでもない。特に中東諸国に見られる男性優位の社会では、女性が学問を志すだけでも問題とされることもあります。よって、条約における「平等かつ完全な」というような決め打ちはマズイと思うのです。

‖ 条約の衝動買いに走る原発反対派の不条理

これまでの検証作業を通して、私がその1で示した、この条約にかんする率直な感想としての古臭さ、平和利用と軍事利用のリスク、あるいは特定の価値観の押しつけといった懸念について、一通りその理由を述べたつもりです。

それから、その6でも指摘したことですが、特に原発反対派において、条約の内容を確認せず、「日本も参加するべきだ」、「原発(輸出)反対!」なんてことを仰っている方が多い印象です。そこで、もし安倍首相に、「批准は時期尚早だが、平和利用、原発の推進では一致できる」なんて反論されたら目も当てられません。

たしかに、私は核兵器禁止条約には懸念を示しています。もちろん、条約の是非については人それぞれです。しかし、自分の考えを述べる際には、まずは一通り内容を把握しておくことが大切であると考えます。

条約を絶賛しつつ、一生懸命他人にも勧めるが、実はその内容を知らない。一体彼らは何を賛成しているのか?と、これまで条約の検証作業をしながら連載を続けてきましたが、終了までに疑問が解決することはありませんでした。

- おわり -


参考資料

今井隆吉 科学と外交
1994/2 https://bit.ly/2IjP5vP

金子熊男 日本の核・アジアの核―ニッポン人の核音痴を衝く
1997/5 https://amzn.to/2J5diHb

大田昌克 核の今がわかる本
2011/7 https://bit.ly/2Gm8Jd3

大田昌克 偽装の被爆国 核を捨てられない日本
2017/9 https://bit.ly/2E9OoCK

小川和久 日米同盟のリアリズム(文春新書)
2017/7 http://bit.ly/2AYkSj8

鈴木達治郎 核兵器と原発 日本が抱える「核」のジレンマ
2017/12 https://bit.ly/2EabVTX

川崎哲 新版 核兵器を禁止する
2018/2 https://bit.ly/2EaEVem

2018/4/1 追記

こちらについて、特に反核・反原発団体等から、核不拡散のために日本は核燃料サイクル(再処理)を放棄するべきという意見が見られます。日本が模範を示すことで他国も追随するという主旨です。

私も核燃料サイクルはやめるべきと考えますが、日本が模範を示せばどうにかなるかと言えば、それは別問題だろうと思います。

アメリカは70年代後半に、民生用の核燃料サイクル事業を凍結して現在に至ります。主な理由は、経済的な問題に加え、特に核不拡散上の問題で、アメリカが模範を示すことで他国に政策転換を促す思惑もありました。しかし、ご存知の通り、当時話題の中心にいた日本はやめませんでした。

当然、現在の日本が一方的に再処理をやめたからと言って、他国が続く保証はありません。確かに、日本を引き合いに、国際社会、とりわけアメリカに再処理の権利を求める国家も少なくないことは事実ですが、その前提が崩れたとしても、その後の理由付けはどうにでもなると思います。

そこで、私としては、日米が主体となって再処理を禁止する国際条約を提唱するべきと考えますが、これも途上国から見れば、先進国が主導する平和利用のアパルトヘイトであり、猛反発は必至でしょう。

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冷やし狸庵的・核兵器禁止条約懐疑論 その7 

‖ 条約における平和利用の問題(原発)は、とりあえず後回しで良いのか?

その5その6で述べたように、私は、核兵器禁止条約には平和利用、すなわち原発のリスクが除外されていることを特に問題としました。核の軍事利用と平和利用は「コインの裏表」の関係で、その被害者は同質とも考えます。

ここで、私の主張に対して、「原発(平和利用)にこだわりすぎではないか?」、「核兵器廃絶の条約なのだから、優先順位が違うのではないか?」というご意見もあると思います。

しかし、先のコインの関係の本来の意味は、被害者が同質という意味以上に、原子力は軍事利用であれ平和利用であれ、双方の技術には非常に高い互換性があることなのです。つまり、たとえ平和利用に専念しても、そこには必ず、軍事利用としての負の側面がセットになる。私はこの矛盾を強く強調したいのです。

‖ 「良い燃料」、「良い技術」も、軍事利用に転用可能な事実に変わりはない

原子力平和利用の代名詞、原発を利用するには、当然、そのための燃料が必要になります。それは主に、ウランでありプルトニウムです。

そして、これらは言うまでもなく、核兵器の材料として転用が可能です。ウラン・プルトニウム単体による核爆弾(原爆)。これらを核融合を起こすための起爆装置として利用する水爆。どちらにせよ、現代の核兵器では欠かせない材料です。

そのため、特に反核・反原発団体からは、核燃料の製造技術にあたる、ウラン濃縮や核燃料サイクル等に対して批判的な意見が聞かれますし、その点については私も全く同感です。

しかし、これらは「平和利用」である限りは、当然、「良い燃料」、「良い技術」という位置づけになる。つまり、本来はウラン濃縮や核燃料サイクルも、誰かに認めてもらう必要がある(認められることが名誉)というような、何か特別なことでは全くないのです。同様に、誰かが認める権利もないのです。

前文下段より抜粋

本条約のいかなる内容も、締約諸国が一切の差別なく平和目的での核エネルギーの研究と生産、使用を進めるという譲れない権利に悪影響を及ぼすとは解釈されないことを強調する。



そして、核兵器禁止条約上は、差別のない平和利用の権利が認められているのですから、加盟国は先の「良い燃料」、あるいは「良い技術」について、その種類を問わずに自由に扱って良いことになります。これらを少しでも制限しようとするような論説は、核のアパルトヘイトであり、ヘイトスピーチに相当します。

‖ 突き詰めれば、「核爆発」も平和利用になる

さらに言えば、原子力の平和利用は、原発・発電用途に限らず、究極的には「核爆発」、すなわち、「平和的核爆発」の利用も妨げられないはずです。

平和的核爆発とは、その名のとおり、核爆発の平和利用です。例えば核爆発を、土木工事や石油・天然ガス、鉱物等の採取・採掘、あるいは大規模火災・台風を吹き飛ばす等の用途に用いる。実際にこれらの一部は、半世紀ほど前に行われています。実態としては放射性物質で酷く汚染されて、全く使い物にならなかったのですがw

ここで矛盾があると考えるのですが、核兵器禁止条約の前文では、「一切の差別なく」、平和目的での核エネルギーの利用が可能であると明記されているにもかかわらず、同条約の第一条では、「あらゆる核爆発」を禁止すると読める記述があるのです。これは以前の、その2の最後で予告していた論点になります。

第一条第一項(a)より抜粋

第1条(禁止項目)
 一、締約国はいかなる状況においても次のことを実施しない。
 (a)核兵器あるいはその他の核爆発装置の開発、実験、製造、生産、あるいは獲得、保有、貯蔵。



第一条第一項(a)では、「核兵器あるいはその他の核爆発装置の開発・・は禁止」、と表記されていますが、これではおそらく、平和的核爆発は条約違反ということになります。文章の意味としては、「軍事利用としての核兵器+その他の核爆発装置」なので、禁止事項の範囲は軍事目的に限定されないと解されるからです。

ここで念のために、国連総会のサイトにある英語版で確認してみますと・・

国際連合 総会 核兵器禁止条約(英文 PDF)
2017/7/6 http://bit.ly/2sUC0AF

Article 1
Prohibitions
1. Each State Party undertakes never under any circumstances to:
(a) Develop, test, produce, manufacture, otherwise acquire, possess or stockpile nuclear weapons or other nuclear explosive devices;



やはり、Prohibitions(禁止事項)として、"other nuclear explosive devises;"と表記されているとおり、「その他の核爆発装置」も禁止されるようです。

たしかに、平和的核爆発は軍事目的と見分けがつけられるような技術ではない。しかし、だからといってこれが全面的に否定されているかと言えばそうでもなく、例えばNPTでもその権利は否定されないという記述(第五条を参照)が見られます。

核兵器禁止条約では平和利用の権利は差別されないとしながら、平和的核爆発を禁止している。しかし、NPTでは「無差別の原則」として一応認める形になっている。

もちろん、私はたとえ平和的であれ、あらゆる核爆発には反対です。先の区別の問題に加え、平和利用の代償として、相応の放射性物質の漏洩・フォールアウトがつきまといます。汚染・被曝を含めて、いくらリスクを軽減する技術を高めたところで、想定外の事故も起こり得ます。

しかし、やはり平和利用の核爆発といえども簡単には否定されないはず。先のNPTについても、条約発効後にインドによって行われた核実験(1974、平和的核爆発)によって死文化されたという論説も見られますが、話はそう一筋縄には行かないと考えます。

例えば昨今の温暖化問題を考えれば、将来、「平和的核爆発」に肯定的な論調が多数派を形成することも考えられなくもありません。ダイベストメント、すなわちCO2の発生企業への圧力が今以上に激化すれば、「核爆発よりダイナマイトのほうが危険だ」という国際合意により、そのハードルは低くなり得ます。

こんなことを書くと、「いくら何でもそれなはいw」なんて思われる方も多いかも知れません。しかし、実際に私達の社会では、既に「原発事故よりもCO2の方が怖い」という意見も見られるわけですから、これは何とも言えないのではないかと思います。

とにかく今後、核兵器禁止条約にかんする会合(規定によりNPTのような再検討会議が催される)では、平和的核爆発の取扱いについても大いに議論になるのではないかと考えます。

‖ 原子力の軍事利用・平和利用の区別は付けられるのか?

原子力の平和利用・原発推進と、軍事利用・核兵器の開発に必要不可欠な、ウラン・プルトニウムに代表される核物質。そして、それらを製造するための濃縮・核燃料サイクル技術。さらには核爆発すら平和利用の範疇に入る。

つまり、いくら核兵器禁止条約で軍事利用が否定されたところで、その負の側面は、平和利用技術の中に備わっている。まさにコインの裏表の関係とはこのことを言うのでしょう。

私は原発も核兵器にも反対ですが、それよりも、先の分類により、原子力の平和利用を、半ば疑いなく推進する現在の価値観を問題としているのです。結果的には「平和的」に、核兵器の拡散を助長していると考えるからです。私から見れば、そもそも原子力利用に善悪の区別をつけること自体が言葉遊びにも映ります。

かと言って、私は今のところ、「核と人類は共存できない」とまで言い切る自信はありません。原発は必要ないとしても、それが原子力技術の全てではないからです。原発の廃炉のためにも、当面は嫌でも共存するしかない現実もあります。

しかし、既存の核保有国は、概ねその出発点が、平和利用目的の技術導入に起因するという事実は否定できないものと考えます。今何かと話題の北朝鮮だってそうなんですから。

その8につづく

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冷やし狸庵的・核兵器禁止条約懐疑論 その6 

いよいよ、私が条約について最も憂慮する、かつ最大の矛盾を抱える箇所についての検証になります。

‖ 核兵器禁止条約は、原発を推進する権利を認めている

前文下段より抜粋

本条約のいかなる内容も、締約諸国が一切の差別なく平和目的での核エネルギーの研究と生産、使用を進めるという譲れない権利に悪影響を及ぼすとは解釈されないことを強調する。



核兵器禁止条約では、このように、一切の差別のない、原子力の平和利用の推進が、譲れない権利であることが強調されています。

原子力の平和利用とは、すなわち、軍事利用以外の全てということになるので、これは当然、原発も含まれます。平和利用用途の中でも、原発は圧倒的なシェアを占めることは言うまでもありません。

もちろん、権利があるからと言って、例えば条約の加盟国は、もれなく原発を推進(権利を行使)しなければならないとか、そのような意味では全くありませんが。

こちらは、その4の脱退条項の話題とも通じるのですが、核兵器禁止条約の「譲れない権利」についても、NPTにおいて、ほとんど同じ内容の条文が見られます。

日本原子力研究開発機構 核兵器の不拡散に関する条約(NPT)
1970 http://bit.ly/2mOgFc2 #jaea

第四条第一、第二項より抜粋

1 この条約のいかなる規定も、無差別にかつ第一条及び第二条の規定に従って平和的目的のための原子力の研究、生産及び利用を発展させることについてのすべての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない。

2 すべての締約国は、原子力の平和的利用のため設備、資材並びに科学的及び技術的情報を可能な最大限度まで交換することを容易にすることを約束し、また、その交換に参加する権利を有する。



既にNPT上で認められている、平和利用の権利(2018/3/27 末尾に「追記その1」あり)。核兵器禁止条約の目的が核兵器の廃絶であれば、わざわざここで、「権利に悪影響を及ぼすとは解釈されないことを強調する」、と念を押す必要もないように思えてきます。

‖ 「核のアパルトヘイト」とは、二通りの意味を持つ

核兵器禁止条約は、NPTが抱える矛盾、いわゆる「核のアパルトヘイト(人種隔離政策)」を厳しく批判する意味も含まれています。

確かにNPTは、米・露・英・仏・中、正式な核兵器国と、非核兵器国という区分けがあり、後者には絶対に核兵器を持たせない、そして前者は後から軍縮に努力(いつゼロにするかは不明w)するという、かなりズルい条約です。これは裏を返せば、軍事利用・核保有を目指す国家から見ると差別的であるとも言えます。もちろん、私は遠慮しますけどw

核のアパルトヘイトについてはこのような理解が一般的に思います。しかしこれでは、章題の「二通り」の意味を成しません。

実はこれにはもう一つの意味があり、それは「平和利用」もまた差別的であると、特に原子力技術の導入を希望する途上国からは、そのような不満が以前から見られます。

‖ 世界最大の「原子力ムラ」とは

しかし、この場合の「途上国」については、その定義はちょっと難しいです。一応、経済的に発展途上であり、かつ原子力技術はほとんど手付かずの状態。そのうえで、国家の発展には原子力技術の導入は欠かせないと考えている国々。大まかに言えば、今回の核兵器禁止条約に賛同した国の全てと言っても差し支えないと思います。

原発事故後に定着した「原子力ムラ」ですが、これは日本であれば経産省や電事連、国際的な視野で言えばアメリカやフランス、ロシア等を連想します。しかし、これらは何れも、既に相当な原子力技術を保有する、原子力先進国です。これら少数の事例をもって「原子力ムラ」と理解することは、いささか偏り過ぎではないかと思うのです。

つまり、本当の原子力ムラとは、先の途上国なのです。潜在的な数の上ではこちらのほうが圧倒的に多数派です。ここまでのスケールになると、もはや「ムラ」ではなく、「連合」や「連盟」のほうが適切かもしれませんがw

原子力技術を希望する途上国は、NPTに規定されている、核兵器を持たない見返りとしての平和利用の推進の権利について、実態としては全く不十分であると考えている。原発であれば、限られた先進国がその技術を独占し、途上国にはその知見がなかなかもたらされないことに、「平和利用のアパルトヘイト」という感情を抱いている。

そして途上国は、平和利用としての原子力利用を、極力、先進国の干渉を受けない形で推進したいという思惑も根強いようです。先進国が原発(技術)を提供しても、途上国に規制をかけてがんじがらめに・・みたいな推進ではおことわりであると。

太田昌克 「核の今」がわかる本(講談社α新書)
2011/7/20 https://bit.ly/2Gm8Jd3

一部抜粋

 核燃料バンクに反対する途上国

 「核の番人」と称される国際原子力機関(IAEA)。二〇一〇年三月の定例理事会(日米など三十五カ国)は、イラン核問題への対応を主な議題にウィーンの本部で始まった。・・
 だが翌日、テーマが「核燃料バンク」構想に移ると「途上国に対する差別だ」と先進国批判が続いた。・・

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 途上国は将来にわたり原子力の技術的発展の芽が摘み取られると危惧し、アルジェリアのフェルキーIAEA担当大使らは核燃料バンクを「先進国の主張」と拒む。・・

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 「核技術は先進国だけのものではない」。ある途上国の大使の言葉が重みを増す。核技術を持つ国と持たざる国。両者の間の溝はあまりに深い。



こちらは、その源流としては米ソ間で何十年も前からあったものの、特に2000年代、温暖化対策等で原子力の復権が期待される、いわゆる「原子力ルネサンス」の時期に話題になった、「原子力の共同管理構想」にかんする話です。こちらは、同時期のブッシュ政権で提唱されたGNEP、オバマ政権のIFNECなど、現在でも議論は進んでいるようです。

構想の内容としては、今後世界中で原発への期待が増すことに比例して、それに伴うリスクも増加する。そこで既存の先進国で役割分担し、フロントエンド(燃料・原子炉の製造)からバックエンド(廃炉・核燃料サイクル)まで、全体的にカバーする。いわば先進国が途上国を恒久的に支援・指導する。そのようなプランです。

そして、上記の引用文のように、途上国としては「ふざけるな」とw

なお、平和利用の差別という意味では、平和利用の二国間協定(原子力協定)も、核物質や技術の供給国が圧倒的に有利な仕組みで、現在原発を推進している国ですら窮屈と言える面があります。すなわち、日本の「原発=国産エネルギー」論の誤りは明らかです。こちらの詳細は、金子熊夫「日本の核・アジアの核」をお読みいただければと思います。

どうも日本の原発反対論を見渡すと、何かにつけてその焦点が日米関係に集中しがちです。例えばアメリカと日本が手を組んで、嫌がる途上国に原発を無理やり押し付ける・売り付ける。常に先進国が極悪な加害者で、途上国が善良な被害者であるという前提が見受けられます。

しかし、途上国は以前から、先進国の思惑とは別に、原発を渇望している。かと言って先進国の制約は受けず、もっと自由な形で推進したいと考えている。そして、そのような途上国による先進国への突き上げは年々高まりつつあるのです。

‖ 核兵器禁止条約の賛同国に「脱原発論」は通用するか?

核兵器禁止条約は、単に核兵器の廃絶を訴えるだけではなく、前文の「譲れない権利」に示されるように、一切の差別のない平和利用の推進を強く要求する意味が込められている。そしてそれは、「途上国・持たざる国」による、「先進国・持てる国」に対する、長年の核技術への欲求・フラストレーションを表現したものであるとも読み取れます。

脱原発を考える上では、このような原子力平和利用を巡る国際情勢・背景についても考慮に入れておく必要があるのでしょう。

そして正直、これは「かなり難しい」では到底収まりきらない問題(2018/3/27 末尾に「追記その2」あり)と考えます。たとえどんなに、代替エネルギーとされる、「再エネ」や「高効率火力」、あるいは最近は非炭素電源の最有力とも評される「省エネ」のノウハウを提供したところで、途上国の原発への渇きを潤すことになるものかどうか。

「原発認めない」発信を ICANが避難者に訴え
2018/2/24 https://archive.is/3ZBcz #神戸新聞

一部抜粋

東日本大震災から7年がたとうとする中、被災地から近畿に2520人、うち兵庫には最多の782人が避難する(1月16日現在)。東日本大震災避難者の会「Thanks&Dream(サンクスアンドドリーム)」(森松明希子代表=兵庫県伊丹市出身)はこのほど大阪市内で、昨年ノーベル平和賞の「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))国際運営委員の川崎哲さんと意見交換した。川崎さんは核兵器禁止条約が原発を容認していると明かし、事故が大きな脅威となることを指摘。「原発を認めない条約にするため、福島第1原発事故の避難者である皆さんの発信が必要」と呼び掛けた。・・

・・

 川崎さんが、同条約がいかなる核の使用も「国際人道法に違反する」としたことを「画期的」と評価する一方、「『原子力の平和利用』を認めたことは最大の汚点」と明かすと、集まった約100人の避難者らからは「知らなかった」と驚きの声が上がった。
 
 川崎さんによると、最後まで反対したが「一部の先進国だけが経済発展のため原子力の資源や技術をほしいままにしている」との意見が途上国を中心に相次ぎ、「原子力の平和利用は奪い得ない権利」と押し切られたという。「これが格差社会の現実」と川崎さん。



私がこの記事を見て驚いたのは、核兵器禁止条約に興味があるはずの参加者の皆さんが、その内容を全く理解していないことでしたw条約の衝動買いには要注意ではないかと思います。

余談になりますが、川崎氏は正直な方だと思いました。単に条約の賛同者を募る意図であれば、そもそも平和利用に関してはスルーしても良かったのでしょうし、話の流れで説明が必要になれば、「それはレントゲンのことです」等と、客筋から察するに誤魔化しとおすことは十分に可能であったと思います。

その7につづく

2018/3/27 追記その1

これに限らず、既存の原子力の軍事利用・核兵器を制限する条約等には、必ずこのような権利が記載されています。例としては、IAEA原子力平和利用の二国間協定(原子力協定)、核物質の防護条約CTBT等が挙げられます。

2018/3/27 追記その2

かと言って、「平和利用のアパルトヘイト」という意味では、途上国のために先進国が主体的・主導的に貢献するべきという、原発推進派に見られる論理も通用しないわけで、日本を含めた原発先進国で論じられる、「賛成・反対論」自体が途上国には受け入れ難いとも言えるのでしょうか。

カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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