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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発のヒーロー 小出裕章先生は北朝鮮の核・ミサイル開発を容認しているのか? その4 

‖ 小出先生の真意はおそらくこんな感じだろう

なぜ小出先生は一見すると北朝鮮の味方のようなことを主張するのかと考えると、それは例えば、過去の先生の講演録等を読んでみると、なんとなくわかるような気がしてきます。

医療9条の会 講演会 「核(原子力)と人類は共存できるのか?」at 札幌 今私たちが知っておかなければならない、核・原子力の真実 京都大学・原子炉実験所 小出 裕章(PDFファイル)
2010/4/10 http://bit.ly/2yKCalJ

一部抜粋

昨年、米国大統領になったオバマは2009 年5月にプラハで演説し、米国が「唯一核兵器を使用した国」であると認めました。それを受け、核廃絶に対する期待が高まりましたし、先日は米国とロシアの間で START1 に続く核兵器削減条約が合意されました。また、今度の 5月には NPT ( Nuclear NonProliferationTreaty:核拡散防止条約)再検討会議が開かれ、それに期待する人々もいます。しかし、NPT はもともと核兵器保有国と非核兵器保有国を峻別する不平等条約です。もちろん核兵器は廃絶すべきものですし、それまでには粘り強い努力と長い時間が必要でしょう。しかし、公正な世界を作るために、不平等な条約を足場にすることが可能かどうか、私は深く疑念を持ちます。その上、核保有国は核の独占体制を維持しようとし続けていますし、原子力=核の世界でも、核技術の支配を維持しようとしています。



私は以前の記事で、反原発にこだわる方の特徴として、「反米、反戦、半農主義(いずれも「極端な」ニュアンス)・・」という、ある種一般社会からは到底共有されそうにない思想に偏りがちであるという指摘をしたことがあります。

私がいくつかあげた特徴の中に、「死刑反対」というのがありまして、なぜ反原発の方が死刑制度に反対なのかと言えば、それは死刑が残虐であるという非人道的な理由ではなく、基本的には「人が人を裁く権利はない」というものです。

私の記憶では、小出先生もまた死刑制度には反対。先生の著作か講演会などで、そのようなことを仰っていたような気がするのですが。

しかし重要なのは、死刑制度の是非などではなくて、「人が人を裁く権利はない」という方なのです。

先程の小出先生の講演録を読んでみると、先生は現状の国際的な核の秩序形成の中心に位置づけられるNPT(核不拡散条約)には反対の立場です。その理由は、やはり「人が人を裁く権利はない」と同義と言えるでしょう。

既にアメリカを含めた核保有国がたくさん核を持っているのに、北朝鮮が持ってはいけない理由はない。だからみんな一斉に核を廃絶するべきである。徹底した平等さを重視した考え方に基づけば、先の内容のようなメールを公表する小出先生の心情もわからなくもないです。

‖ 世の中は基本、「曲りなり」である

しかし、核問題に限らず、世の中に存在するあらゆる秩序というものは、それが国内法であれ国際条約であれ、厳密に言えば完全な平等というものは無いと思います。大雑把に言えば、現状で生じている諸問題を「曲りなり」にも緩和させるために、様々なルール・秩序が形成され、それらは時代の変化に応じて改良が試みられていくのです。

小出先生が仰るように、NPTは「核クラブ」などと揶揄されるように、表向きは究極的な核廃絶を目標とした条約とはいえ、その優先順位として核5大国は後回しという、ある種のズルさがあります。不平等を前提とした条約であることは事実です。

しかし、NPTが核兵器の無制限の拡散(水平拡散=保有国の増加、垂直拡散=核保有国の保有量の増加)を防止することに曲がりなりにも機能してきたこともまた事実です。

例えば日本であれば、既に50年前以上前から潜在的な核保有の技術を有していたにも関わらず、NPT体制に参加(=1976批准)。自らの核武装のハードルを高めた経緯があります。日本としては核開発に着手するよりも、核不拡散の枠組みの中で核の秩序の合意形成に貢献したほうが国益に資するという判断があったのでしょう。

すなわち、日本が核武装をしない(出来ない)理由は、いわゆるヒロシマナガサキ・非核三原則などと言った精神論ではなく、専ら外的な要因が機能しているからです。

もちろん、唯一の被爆国日本が参加しているということが、NPTの存在価値・正統性を高め、ひいては核不拡散に貢献していることは確かだと思います。

‖ 「曲りなり」が壊れたらどうなるのか?

平等ではないから裁く権利はない。核保有国が核不拡散を呼びかける権利はない、不平等は足場にならないとして、既存の核の秩序が崩壊してしまった場合。そこには秩序がないのですから、誰も核武装を咎めることは出来ない。こうなると、行き着く先は各国が「ハリネズミ」のように武装するしか無くなります。核戦争も時間の問題になるでしょう。

昨今の北朝鮮問題。北朝鮮は1985年にソ連に促される形でNPTに加盟した経緯があり、核開発疑惑でIAEAの査察などで騒動になり、1993年に脱退を宣言(正式に受理はされていなかったような?)。途中、米朝会談や6カ国協議のような話し合いの場が設けられたとはいえ、それでも現在まで核・ミサイル開発を進めています。

私はNPTが平等でも完全であるとも考えませんが、一度NPTに加盟した国家が一方的に脱退を宣言して、核開発に邁進する。その上、仮にアメリカを筆頭とした各国が北朝鮮の核の脅しに屈した場合。これはもはや、国際社会に核の秩序は存在しないという、かつてない危機の時代を迎えることになるのかもしれません。

何と言いますか、小出先生も含めた原発反対派のコアな方々は、あまりにも優しく、純粋過ぎる。そんな印象ですね。「人が人を・・」みたいな主張は、ある種の非日常的な空間である、学会やデモ・集会等では通用するとしても、世間一般の感覚からすればとてもついていけないのです。コアな方々はそこが理解できない様子。

私も原発・核兵器に反対の有識者の方々からはたくさん学ばせていただく機会も多いのですが、書籍や講演など、諸先生方の主張・思想に触れるたび、つくづく「惜しいなあ・・」と残念に思うことが多いですね。

- おわり-

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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