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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

続・日米原子力協定の自動延長と迷走する原発反対論の今後について考えてみる その3 

‖ 協定の自動延長をどう考えるべきか?

どう考えるべきか・・なんて章題ですが、特に無いですねw

どうも原発反対派の多くは、日米原子力協定が日本の原発推進を義務付けていると誤解している方が多い印象です。協定の条文にはそのような規定は一切書かれていないのですが。

原子力規制委員会 日米原子力協定(88年協定 PDF)
1988 https://bit.ly/2JXv66M

第五条一項より抜粋

この協定に基づいて移転された核物質及びこの協定に基づいて移転された資材、核物質若しくは設備において使用され又はその使用を通じて生産された特殊核分裂性物質は、両当事国政府が合意する場合には、再処理することができる。



今回の連載は核燃料サイクルに重点が置かれていますが、こちらも協定上は、やりたくなければやらなければいいだけなのです。

‖ 反対派に見られる、「日本はアメリカ言いなり」という被害妄想

原発反対派の間では、様々な場面で「対米従属」と称し、日本は何もかもアメリカの言いなりで、原発もそうに違いないという論説が目立ちます。原発再稼働や新増設・リプレース、核燃料サイクルの推進も、すべてがアメリカの命令で、日本はただ従うだけというような内容です。

しかし、これは日米関係を説明するには極めて表層的な物の見方ではないかと考えます。

このあたりは70年代後半の東海再処理工場の建設・稼働をめぐる、日米間の交渉結果でも明らかです。アメリカはインドの核実験に影響を受け、核不拡散政策を強化。日本の核燃料サイクル政策にも影響を与えようとしたものの、日本政府の強い抵抗もあり断念。日米関係の深刻な悪化を恐れたアメリカが、最終的には譲歩した経緯があります。

つまり、実態は逆で、日本はアメリカ言いなりにならなかったからこそ、現在のようにプルトニウムの在庫を積み上げる結果を招いてしまったのでしょう。言いなりになっていたら、少なくとも六ケ所やもんじゅは建設されていなかったと思います。今後70年で廃炉とされる東海再処理工場も、既に跡形もなく解体されていたかもしれません。

日米における原子力利用の歴史・事実関係を無視した形で、一方的に被害者意識を募らせる。これでは日本の原子力政策の問題点・諸課題を外に向けることにしかならず、議論が無用に複雑化するだけと考えます。

‖ 日本が核燃料サイクルを放棄することで、諸外国の原子力政策に影響を与えられるのか?

日本の反原発・反核団体の一部からは、原子力協定の再処理の権利を放棄することにより、諸外国で検討が進められている核燃料サイクルを止めることができるという主張も見られます。日本では、核燃料サイクルは専らエネルギー問題の視点で語られがちですが、国際的にはそれ以上に、核不拡散との関連性が問題視されています。

しかし、これは微妙な気もします。

まず確認しておきますが、再処理については、先程のように協定で権利が認められているとはいえ、これを行使する必要性・義務は生じません。協定上、核燃料サイクルはいつでも放棄できるのです。何なら今日やめたって良いんですよ、別にw

そして、日本がやめるから他国も追従するというのは、やや楽観的に思います。

確かに、核燃料サイクルを進める日本を引き合いに、以前から、韓国・イラン・サウジアラビア等が国際社会に権利の行使をアピールしていることは事実です。

しかし、核燃料サイクルから撤退することで国際社会に模範を示し、それが結果に結びつかなかった事例は、以前にアメリカが身をもって証明したことにより明らかです。

これは先程の東海再処理工場の話に関連します。当時アメリカは、核燃料サイクルを、主に経済性・核不拡散の問題から政策的に不利と考えていました。同時に、国際社会に模範を示す意図で、核燃料サイクルから撤退しています。

しかし、これに徹底抗戦の構えを見せたのが日本、あるいはドイツでした。ドイツは後に核燃料サイクルから撤退していますが、日本はまだまだやる気のようです。

私も、国際的な核不拡散の懸念から、核燃料サイクルは推進されるべき技術ではないと考えます。以前に国内で話題になった、トーマス・カントリーマン国務次官補(オバマ政権)による、「すべての国が再処理事業から撤退することが喜ばしい」という見解には、私も100%同意します。

しかし、核燃料サイクルも、平和利用に専念する限りにおいて、それを直ちに否定することは難しいという側面もあります。これは、NPT、あるいは核兵器禁止条約に規定されている「奪い得ない・譲れない平和利用の権利」等にも抵触する論点でしょう。

国際問題としての核燃料サイクルは、日本が一方的にやめれば解決するという話ではなく、例えば日米を軸に、多国間で協議の上、これを禁止・制限する国際条約の策定が求められると考えます。

‖ 最大の問題は、日本の原子力政策の硬直性にあり

日本はなぜ、福島原発事故を経験してもなお、原発や核燃料サイクルを続けるのか?これはやはり、そのベースとして、日本には現時点において、どちらも推進する以外の選択肢・法的根拠が備わっていないことにあるという結論になります。

そして、長年の慣習、惰性力が強く作用していることでしょうね。今更引くに引けないし、政策変更となれば政治や行政の責任問題に発展する。よって、自分が担当している間は厄介事には巻き込まれたくないという、政治・行政の不作為が常態化している。そんな感じでしょうか。だからこそ、ゴミも資源としていたほうが都合が良いわけです。

原発・核燃料サイクルをやめるのであれば、そのための有効な手段として、やはり使用済み燃料の直接処分・プルトニウムの廃棄処分を可能にする法整備が求められます。これらにはもちろん、原発・核燃料サイクル関連施設の立地地域、あるいは電力会社への補償なども含まれます。

憶測に基づいた、原発をやめられない「犯人探し」よりも、まずは私達の足元を見直す作業が必要と考えます。

今回の連載は、内容としてはこれで終了です。次回は参考資料等の紹介になります。

その4につづく

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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