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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

日印原子力協定について考えてみる 5 - インドに平和利用の保証がないという上から目線 - その3 

そういえばインドの原子力協定についての連載を続けているのだったと気が付いて、今日はその続きになります。

前回は、日印原子力協定が大筋合意になって、にわかに上から目線で「インドに平和利用の保証がない、核実験をするかも?」みたいな論調になって、私に言わせれば日本だって結構怪しいぞという話でした。

今回は怪しい話の続きということで、経済・環境ジャーナリストの石井孝明氏の記事をご覧いただきたいと思います。この方も非常に原発がお好きな方で、様々な場面で原発推進の提言をなされており、そのため石井氏をご存じの方も多いのではないかと思います。

‖ 怪しげな「自称」原発推進のジャーナリスト

日本が核武装? 世界が警戒するプルトニウム問題 - 石井孝明 誤解だらけのエネルギー問題
2015/11/24 https://archive.is/sVxka #newsweek

一部抜粋

日本の核武装論は、中国からの安全保障上の脅威が高まる中で、「力には力で」という外交論の上ではありえる考えかもしれない。しかし、原子力の平和利用を誓い、唯一の被爆国である日本の核兵器廃絶の目標に反する。その議論は国際的な懸念も深めてしまう。

・・

「李下に冠をたださず(りかにかんむりをたださず=人に疑われるようなことはしてはいけないという意味)」とことわざにいう。日本がこのままでは核兵器の保有の問題で、国際的に「痛くもない腹を探られかねない」のだ。



・・いったいこれのどこが「怪しい話」なのか!日本は核兵器を持つべきではないという真っ当な内容ではないか!というようなお叱りの声が上がってしまうかもしれません。たしかに、この記事の核兵器に関する見解に関しては私もそう思います。

しかし問題なのは、同じ石井氏が以前に書いた別の記事なんです。先に紹介した記事とこれから紹介する記事、両方を見比べてこその「怪しい話」なのです。

‖ ジキルとハイド、李下に冠を「ただす」

外交カード「日本の核武装の可能性」は捨てるべきではない—原発政策の語られない論点「核兵器転用の阻止」を考える 石井 孝明
2012/11/2 https://archive.is/VZzPX #アゴラ

一部抜粋

私は感情として核兵器を憎む。広島・長崎の同胞を殺戮した非人道的兵器だ。しかし歴史を観察し、論理の上だけで考えれば、この非人道性が逆説的に戦争を抑止する一面がある。核兵器への好悪を別にすれば、国民の意思として将来日本が核武装を選択することはありえるだろう。そして現状の「日本の核武装の可能性」は、あまり注目されていないが、外交カードの一つになっている。未来にそれを選択した場合には、今有る再処理技術と施設は、その基盤になる。

私は経済記者として経済面、エネルギー安定供給面から原発は使わざるを得ないと考えている。そして安全保障の観点からも、再処理技術を維持し、核武装を含めた可能性を持ち続けるべきではないだろうか。

その観点からも、原発ゼロを選択し、その結果として今の再処理政策の放棄をするべきではないと考える。そして軍事利用面の議論の深化も、タブー視せずに取り組むべきであろう。



このとおり、以前の石井氏は原発の推進と潜在的な核武装をセットと考えており、さらにそれが外交カードになると仰っていたのです。優等生と不良学生、ジキルとハイドみたいに、同じ人が全く正反対のことを主張している。まったくおかしな話だと思います。

原発についていろいろ勉強していくと、自然と日本は核武装など実現不可能であることが理解できるようになります。いわゆる潜在的な核抑止などという理屈は外交カードになるどころか、むしろその点を国際社会からしつこく追及されてマイナスにしかならないのです。核兵器は「ヒロシマ・ナガサキ」というような感情論で持てない(持つべきではない)という話ではないのです。

石井氏は原発が大変お好きで、しかも職業柄ジャーナリストを名乗っていらっしゃるのに、この辺がまったくなっていないわけです。中国の傅聡(ふそう)軍縮大使との一件では優等生を装い、「李下に冠をたださず」などと恰好をつけたところで、これでは読者には、「なんだか怪しい奴だ」という印象しか残らないでしょう。

石井孝明‏@ishiitakaaki
2016/1/6 https://archive.is/UAV0x

田母神閣下と違い、日本核武装論は反対です。武器輸出も好ましいものとは思えませんが仕方なしの立場。改憲しても平和国家の地位から変わってはいけない



李下とは桃の木のことを指し、ここで冠を正すと盗んでいると疑われる(だからやるな)という意味だそうですが、石井氏の場合は桃の実を盗もうと画策してバレそうになって、「みんな、盗みは良くないぞ!」と偉ぶっているようなものです。これでは示しが付きません。

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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