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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

日印原子力協定について考えてみる 7 - 今後のインドと日本のあり方について - その1 

今まで日本・インドにおける原子力協定について長々と連載してきたわけですが、そろそろまとめに入りたいと思います。今回を含めて全2回を予定して、今までの話を踏まえた上で、原子力に関する今後のインドと日本のあり方について考えてみたいと思います。

まずはインドの話になりますが、インドが今後も原子力・原発を推進していくのか、それともやめる方向に進むのかは、結局のところはインド国内の問題であり、決めるのは国民の判断ということになります。

そして、今のところインドにはやめる気配はないわけです。

その理由は、イギリス領から独立後のインドがかなり早い段階から原子力技術の発展の重要性を認識し、それに執着してきた歴史的な背景・文化が影響していると私は考えています。

‖ インドの「科学的精神」と原子力利用推進の論理

インドの初代首相、ジャワハルラール・ネルーは、1947年の独立に前後する形で、特に独立後になりますが、政策上何より重要と考えたのが近代国家へのプロセスであり、それはすなわち、インドにおける工業・科学技術の発展でした。

ネルーが「科学的精神」と位置付けた近代化へのプロセスの中で、特に重要視したのが、当時は最先端技術の代表格であった原子力で、ネルー自身も将来のエネルギー源としての原子力に大きな期待(当初は原子力の軍事利用、核武装は考えていなかったとされていますが・・)を寄せていました。

独立の翌年である1948年(※1)には原子力法を制定し、原子力委員会の設置(日本よりもずっと早い!)、54年には原子力庁、58年には原子力研究センターが設立されました。インドにおける原子力は、ネルーの強い意志もあり、ある種の特別な位置付けとされ、原子力関連機関は各種特権・裁量を与えられて推進されてきた経緯があります。

ロシア革命の指導者であるウラジミール・レーニンは、「共産主義とは、ソビエト権力プラス全土の電化である」という言葉を残しています。レーニン自身、まだ核分裂反応が証明される以前から原子力の潜在的なエネルギーの大きさに注目していたことは有名です。

同じく指導者の1人であるレオン・トロツキーもまた、原子力が石炭・石油に代わるエネルギーになることを期待する発言(1926)を残しています。

ネルーもまた社会主義者であったという事実を踏まえると、インドの原子力政策にはレーニン(ソ連)らの思想的な影響もあったのかもしれません。

レーニンの話はともかくとして、インド独立後の歴史的な経緯を踏まえると、インドの独立の精神が原子力の推進であるという見方も、決して大げさなものではないと考えます。アメリカ独立の精神が拳銃の所持(=銃規制に反対という論理)であるというような、それと似たような話です。

インドにとっての原子力の位置付けを考えると、やはりそれを止める判断を下せるのはインドの政治、すなわち国民の合意以外にはありえないということです。そして独立の精神が原子力の推進であるならば、これはある種の原子力文化であって、これを方針転換するのはそう容易なことではないでしょう。

インドでは福島原発事故を経て、一部では原発に反対する動きも見られるようですが、それは国民的な議論、政治的な動き、すなわち脱原発文化の形成までには至っていないというのが実情ではないでしょうか。

加藤哲郎・井川光雄 編 原子力と冷戦 日本とアジアの原発導入 
2013/3 http://goo.gl/jp3T8W

第9章 冷戦下インドの核政策 - 「第三の道」の理想と現実 - ブリッジ・タンカ(訳 清水亮太郎)より一部抜粋

 核実験(※2)は国連と米国の非難を引き起こした。なかでも中国の批判は声高であり、パキスタンも報復として同等の能力を証明するために6回の核実験を行った。米国と日本は制裁措置を取った。制裁の効果はさほど大きなものではなかったが、経済への影響はあった。制裁は5年後解除された。今や、核実験が行われた5月11日、インドでは国家の科学技術記念日として祝い、科学者たちへの受賞が行われている。



インドという国は、原子力利用に関して相当な「筋金入り」であるということは間違いなさそうです。

その2につづく


2016/2/6 注釈として※1、2を追加

※1 独立以前の1945年にはタタ基礎研究所が設立されていますが、原子力に関する法整備、具体的な推進機関が積極的に作られるようになったのは独立後の事です。インドの教育水準は旧宗主国イギリスの影響もあり、他の被植民地よりも比較的に高いとされ、それが工業・科学技術(原子力)推進の基礎となったようです。

※2 1998年の核実験。インド人民党(BJP)アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー(日本ではバジパイ表記が一般的)首相が核実験の実施を容認。

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

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