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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発・ニセモノ狩りの記録8 - 「段階的脱原発」と吉岡斉 九州大学教授 - 

予定では本来は小泉氏の話にしようと考えていたのですが、つい最近、毎日新聞の九州大学の吉岡教授のインタビュー記事を見て「次はこれにしよう」と気が変わってしまい、タイトルを変更することになりました。小泉氏に関してはまた後日ということになります。

そして、今回の「ニセモノ狩りシリーズ8」になりますが、今思えば本来この話を一番最初に持ってくるべきだった(一番最初が消費税の話でした)と、私としてはちょっと失敗してしまったと思っています。

この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 九州大教授・吉岡斉(よしおか ひとし)さん
2016/3/4 https://archive.is/3otLb #毎日新聞

一部抜粋

 吉岡斉さんに会うのは約3年ぶりだった。東京電力福島第1原発事故を経験しても原発存続にかじを切ったこの国の行方を識者に語ってもらう「原発の呪縛 日本よ!」シリーズの取材に応じてもらって以来。



 吉岡さんの主張は「脱原発」だが、同時に一定の時間が必要だとも訴えている。「原発には事故のリスク、使用済み核燃料の最終処分などに巨額の費用が必要というデメリットがあります。しかし、新しくて安全上の立地条件もよい原発を稼働させることまで否定はしません。そうではない原発は廃炉にするとともに、新増設は認めない。そうすれば十数年以内に原発ゼロにできるのです」



どうやら毎日の記者の方は吉岡先生と顔なじみのようですが、それでいて先生の主張を「猶予期間付き脱原発論(=段階的脱原発)」などと理解されているというのは、私としてはちょっと首をかしげてしまいます。

‖ 反原発と脱原発

以前、私は吉岡・高木(仁三郎)先生の著作などをもとに、「反原発と脱原発の違い」について説明したことがありますが、その内容は、反原発とはとにかく問答無用で「即ゼロ」であり、脱原発とは「それ自体に一定の猶予期間を認める意味が含まれている」という話でした。つまり、巷にあふれる「段階的脱原発」や「即時脱原発」というような論説は、定義論から考えると成り立たないであろうというものでした。

というわけで、吉岡先生はかねてより余計な文言のつかない「脱原発」論者であり、私もそうなのです。もちろん、原発・エネルギー問題において吉岡先生と全く同じ考えであるとか、そういうことではありませんが。

原発は即時ゼロか、それとも段階的か。こういう話は原発反対派の間でも論争になりましたが、少なくともネット上ではこんな意見が支配的になっているというのが私の印象です。

・原発は即時ゼロが正しい!それ以外の意見は推進と同じだ!!
・段階的脱(反)原発はニセモノ!推進派の手先だ!!


こういう主張のピークは2012年の福井県・大飯原発再稼働のあたりだったと思いますが、当時は随分と「脱原発のホンモノ・ニセモノの見分け方」みたいな論調が流行ったものです。今でもツイッターやブログなどを見てみると、「即時ゼロが正しい、段階的はニセモノだ!」みたいに声高に主張される方も少なくないですね。

実のところ、私も原発事故が起きた直後は「全国の原発を即時ゼロ(=反原発)にするべきだ!」とは思いましたが、これではダメだろうなと気が付くようになったのは、先ほどの大飯原発再稼働が話題になった2012年頃でした。

これに関してはちょうどその頃吉岡先生の著作や論文を読んだことがきっかけにもなりましたが、より身近な教材としての新聞やテレビ等の世論調査。これらの影響も大きかったですね。

原発の是非については、大半は否定的というのが原発事故後の傾向ではありますが、それでも「即時ゼロ・廃止」という意見は少数派。原発に反対ではあっても、そのスケジュール感覚には違いがあるというのが現在まで続く傾向と言えるでしょう。

‖ 世間で原理主義は通用しない

私は以前、反原発は理念であり原理主義、脱原発とは世論動向を踏まえた合意形成を図る方法論であるとも説明しましたが、当然のことながら、何事も原理主義的な考え方についてくる人は少ない(大体にしてコワいのでw)ですよね。そして、より現実に即した、いわゆる「大人の事情」、「利害関係の調整」を経た上でなければ社会問題は解決しないであろうと。原発のように「政、官、産、労、学・・」と、産業としての裾野の広さゆえに多方面にステークホルダーが存在する事例であればなおさらのことです。

ネット上の言論空間と言いますか、情報を重度にネットに依存するようになると、この辺の空気感のようなものがわからなくなってくる。そんな気がします。

得てしてネット上は過激化・単純化された情報が好まれるという意見もありますし、広告収入を目的とした、いわゆる「煽り系」のブログ(まとめサイト)などがそういう思考を助長させている面もあるのかもしれません。原発ネタでもどこがとは言いませんが、そういうところはありますね。そして、「マスコミが言わない?」情報をいち早く入手し、ネットに精通している自分たちこそが情報強者であり、一般庶民は愚かであるというような、そういう奇妙な優越感に浸る方も少なくないようです。

それに対して一般の方、これは社会人でも主婦でも学生さんでもそうですが、たとえあらゆる社会問題の専門知識を持ち合わせていなくても、生活の知恵・肌感覚として、「理念だけ、原理主義だけでは世の中回らない」ということを理解されています。「大人の都合って何だよ、世の中汚い事ばかりじゃないか!」みたいに自明のことを改めて口に出すこともありません。

このようなわけで、たとえ世論は原発には反対でも即時ゼロがあまり支持されなかったのは必然とも言えますし、バーチャルな感覚のまま世論動向を無視してゼロだと叫んだところで空振りに終わるだろうと・・。

しかし、原理主義的な視点から見ると、そもそも脱原発などという主張がニセモノということになりますし、吉岡先生もニセモノで推進派の手先ということになってしまいます。世論調査で原発に反対でも即時ゼロと答えない人もみんな推進派ですね。・・もちろん私もwそして選ばれた少数派が「俺たちは正しい!」となるわけですが、私から見たらなんじゃそれはって話ですよね。そしてついには、選ばれた少数派内で「誰が正しいか」で論争になるんじゃないかとw

原発問題に関しては、誰かが「反原発はノイジー・マイノリティーである」と仰いましたが、声高な原理主義者が世論を混乱させ、社会問題をかえって複雑にさせてしまうという側面は否めないように思います。

この間、原発に反対なのに、ホンモノを自称される方から「推進派の手先」、「東電工作員」などと口汚い罵声を浴び、ニセモノ呼ばわりをされて精神的に疲れてしまい、この問題から離れてしまった方も少なくないんじゃないかと、私は見ていますが・・。

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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