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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

日本の核武装の可能性について、トランプ発言が話題になっている今だからこそ国会議員に提出してほしい質問主意書 

いい加減、「憲法と核兵器」のセットの話はもういいやということで、今回は単品で核兵器(核武装)の話です。

世の中には「反核」という言葉がありますが、これは常識的に考えれば「核兵器に反対する」という意味です。あるいは原発に反対するという意味も含まれることもありますが、今回はそれは除外します。

そういう意味では、もちろん私も核兵器には全面的に反対です。当ブログの最近の連載を読まれて変に誤解されている方もいらっしゃるかもわかりません(そうはならないと思ってますけどw)ので、この辺ははっきりさせておきたいと思います。

‖ 「反核」も奥が深い

しかし、この「反核」というのも一筋縄ではいかない側面があって、例えば「条件付きの反核」という意味での反核を唱える方も少なくないのです。

条件付きの反核としては、例えば「日米安保(核の傘)が続く限りにおいては・・」としての反核です。

国会会議録検索システム 第65回 国会衆議院内閣委員会議事録第26号
1971/5/15 http://goo.gl/NWvOTC

一部抜粋

○鈴切委員 いま現在はアメリカの核の中に入って、日米安全保障条約のもとに、もし核攻撃があるならばそれはアメリカの核によって対処をしてもらうということでありますが、・・日米安保条約がなくなった場合、これは裏を返せば核武装をしなければならないんじゃないかというふうに疑われる点があるわけでありますが、そういう点についてはどうでしょうか。
○中曽根国務大臣 現在の国際情勢が続く限り、アメリカの核抑止力がまた機能している限り、日本は核武装をする必要はない、こういうことを従来から申し上げているとおりで、そういう情勢がずっと続くだろうと私は思っております。



こちらは昭和46年(1971)の公明党の鈴切康雄議員と中曽根康弘防衛庁長官のやりとりです。ちなみにこの議事録は過去の記事でも紹介したことがありましたが、こちらの部分に関しては記事の内容上、一部抜粋の対象外になっていました。

議事録のとおり、中曽根氏は「現在の国際情勢、アメリカの核抑止力」、すなわち日米安保条約が続く限りにおいては日本は核武装をする必要はないと仰っています。それが続く限りにおいては、憲法解釈上の必要最小限度の防衛的な核武装も無いわけです。

中曽根氏は議員時代も含め、度々「私は非核論者である」というような発言を繰り返していますが、その意図するところは、「日米安保(核の傘)が続く限りにおいては非核・反核論者である」ということになります。

このような「日米安保が続く限り」の条件的な反核論というのは、何も中曽根氏独自の見解ではなくて、似たような意見をお持ちの方は国会議員も含めて少なくないような気もします。私も今まで同様の論説を時折見聞きする機会もありましたので。

それでは仮に日米安保条約が解消されたとして、そのとき日本は核武装に踏み込むことになるのか。私としてはその点に興味があるのですね。先ほどの鈴切・中曽根氏のやりとりでは、「安保条約が無くなった場合は?→ずっと続くだろう」ということで、その答えは無かったわけですから。

‖ もし、「トランプ大統領」が日米同盟解消を宣言したらどうなる?

日米安保の存続が真正面から問われるという意味では、やはり例のトランプ氏ですね。一時は泡沫扱いでありながら、今や台風の目になっています。また最近支持率が上がっているようですが、本気かどうかはともかくとして、そのような方が日米安保の破棄の可能性を言及しているわけです。

そのようなわけで、私としては憲法上の核兵器の保有および使用などといったわかりきった話で大騒ぎするのではなくて、仮に日米安保が解消された際の日本の核政策について、誰か質問主意書でも提出して頂けないかなあと、そう思っているわけです。個人的には時宜を得た良い質問になるんじゃないかと思っているわけなんですが・・。

とはいえ、こういうのはやはり「仮定の話にはお答えできない」がお約束でしょうが、有力な大統領候補を目の前に政府が何も考えないのはおかしいですし、そこでさらに問いただすこともできるでしょう。そして、やはり質問に正面からお答えいただけないとしても、「我が国には非核三原則がある」とか、「国際関係を考慮して(核は持たない)」という答弁を引き出せればそれで十分です。

私としては仮に日米安保が無くなったとしても、今や核武装なんて到底無理だと思ってます。そういう話は前にも書いたことがありましたし、一部で大騒ぎしているような核武装が可能な法改正であるとか閣議決定であるとか、そういう危険な兆候は現時点では無いものと考えます。

軍事評論家の小川和久氏は、「日本は核武装を本気でやる気であれば、戦後10年以内にやっていた」などと仰いますが、私もそう思います。

核武装というものは、「いつかやるもの」などとして、まるで保険か何かのように大事に取っておくような性質を持つものではないと思います。こういうものは時が経つほどに実行がより困難になるからです。もしやるのであれば、国際的な核の取締りが比較的緩い時期に、法律論や世論動向、あるいは国際情勢など一切気にせずに、その後の結果を恐れずサッサとやっていなければいけませんでした。

‖ やはり反核は奥が深い

今回は「条件付きの反核」の一例を挙げましたが、その他で言えば「アメリカの核兵器には反対」という、今考えるとちょっと不思議な反核も昔は流行っていたようですね。その反面、「社会主義国の核兵器は平和目的で防衛的」なんて話も・・。

一口に「反核」といっても、なかなか奥が深いですね。

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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