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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

オバマ大統領が広島平和公園で述べた所感について考えてみる その1 

オバマ大統領が無事に広島訪問を終えたわけですが、昨日の平和公園で述べたオバマ大統領の所感(全文、以下スピーチとします)を見ながら、少し感想などを書いてみたいと思います。

オバマ大統領の広島訪問 所感の全文
2016/5/28 http://archive.is/SYc9f #nhk

一部抜粋

アメリカのオバマ大統領は27日午後、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。被爆者の人たちを前に述べた所感の全文です。



オバマ大統領は就任直後から「核なき世界」を主張し、任期中は核軍縮・核不拡散にも意欲的に取り組んできましたが、こうやってスピーチをテキストに起こしたものを改めて読んでみると、その主張が決していい加減なものではないことが伝わってきたというのが率直な感想です。そもそもオバマ大統領は、就任以前から旧ソ連の核兵器関連施設などを視察し、核軍縮・非核化をライフワークとして活動されてきた方ですので、そう悪い内容にはならないだろうとは思っていました。

‖ 多方面への配慮の跡が伺えるオバマ大統領のスピーチ

その誠実さを裏付ける根拠としては、文章全体を見てみますと、あらゆる面で角を立てず、それでありながらあくまで主役は広島長崎・日米という内容になっていることです。

今回のオバマ大統領の広島訪問の実現の障害が「謝罪」であったことは以前にも書いたことですが、たしかにスピーチの中にはアメリカが核兵器を使用したことについての直接的な謝罪の意は述べられていません。ここでの謝罪はルール違反ですし、アメリカ国内からの反発も予想されます。そして直接的な謝罪の意を用いない方法で日本を立てすぎると、今度は諸外国のメンツもあるわけです。

しかし、スピーチの最初の段階で

この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。



という哀悼の意を述べることで、広島訪問が決して日米間だけの話ではないということをアピールしているわけです。

それでいて、

広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。



広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。



広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。



というように、日本側の立場を最大限考慮した内容にもなっています。核兵器を唯一使用したアメリカの道義的な責任を、スピーチを聞く側が思い起こさせる構造になっていて、場合よってはこれを「謝罪」と受け止めることも可能な、そういう「上手さ」も随所で見られました。

‖ 抽象論に陥らず、実質的には謝罪の意や核なき社会への意欲が読み取れる

一般的に、「角を立てない」話というのは、抽象的で手堅く、意味が通らない場合が多い印象です。

ところが昨日のオバマ大統領のスピーチは、角を立てず広島長崎を立てるという、相当難易度の高い課題をクリアした、大変意義のある内容であったと思います。おそらく事前の原稿も相当考えて、綿密な計算の上に作成されたことが予想され、そこにオバマ大統領の「核なき世界」への本気度がうかがい知れるのではないかと、私は考えています。

今回のオバマ大統領のスピーチに対し、例えば「アメリカは1000回も核実験をやってるじゃないか!」というように、逆張り的な批判を展開される方もいらっしゃるかとは思います。たしかに、アメリカは依然として世界最強の核兵器国であるという事実があり、それでいて「核なき世界」を訴えるのは欺瞞であるというような厳しい意見も、心情的には理解できなくはないです。

しかし、

私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。

だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。
しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。

私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。
そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。



核兵器を持つ国は恐怖の論理から脱する勇気を持たなければならない、というように、核兵器を保有する国のリーダーとしては軽々には言えないようなことを仰っているわけです。スピーチにおける大統領の意図はこの箇所に最も強く表れているのではないかとも思います。

核兵器に関する諸問題や矛盾とは別に、オバマ大統領のスピーチはそれなりの評価があっても良いのではないかと思います。

それに、あまりにアメリカの揚げ足を取ることばかりに執着してしまうと、現実に存在するNPT上は認められていない核保有国の核戦力増強の正当性の付与、あるいは新たな核保有国の台頭を促し、かえって核兵器が増える結果を招くことにもなりかねません。

‖ 核兵器国の業は1日では無くならない

かつて中曽根康弘氏は核武装を「戦勝国の業になっている」と評しましたが、これは、核兵器は一度手にするとますます不安になって、相手より良いものを持ちたくなるという意味(心理)ですね。そうであるために簡単には手放せない状況に追い込まれてしまう。

つまり、中曽根氏が仰ったことは、オバマ大統領による「恐怖の論理」とも言いかえることが出来るかと思います。

結局こういう物は「即ゼロ」とはならず、現行の核不拡散体制をベースに核兵器国間の信頼関係(特に米・露が中心に)を維持、あるいは深化を模索しながら、徐々に減らしていく以外に無いのだろうと思います。オバマ政権が核兵器の削減ではいま一つだったというのも、ウクライナ問題に端を発したロシアとの政治的な軋轢が一因とも言われています。

「じゃあまずはアメリカがゼロにすればいいじゃないか!」という意見もあるでしょうが、アメリカが率先してゼロにしたところで他国がゼロにする保証はどこにもない(あたりまえw)わけですから、そういう政策はありえません。


その2につづく

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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