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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

野党共闘とご都合主義 その3 

前回(その2)で終わりとしながらも、今回はその3です。

先日、米山氏が急きょ野党3党(共産・生活・社民)の支援(推薦)を受けて新潟県知事選に立候補したわけですが、米山氏より一足早く、事実上の知事選に臨んでいるのが自民・公明党が推薦する、前長岡市長の森民夫氏です。

米山氏ばかりでは偏り過ぎというわけで、森氏についても少々調べておいた方が良いかなと思っていたところ、このような記事がありました。

‖ 森民夫氏は野党側にも支援を求めていた

新潟知事選 森氏、連合に推薦求める 泉田氏は見解繰り返す
2016/8/25 http://archive.is/yHfgN #産経ニュース

一部抜粋

一方、各政党への推薦願は泉田氏の後援会が自民、民進、公明、社民、生活の5党で、共産以外は森氏の後援会の依頼先と重なる。



こちらは現職の泉田知事が立候補を取りやめる前(8月30日に撤退宣言)の記事ですが、当の森氏は自民・公明に限らず、全ての政党に推薦願を提出(一方で泉田氏は共産党にはお願いしていない)していたのですね。森氏は相当な原発推進論者であるというような話もありますが、このような、ある意味では余計な行動は私にはどうにも不可解に映ります。

森氏が全ての政党に推薦願を提出したということは、当然ながら日本共産党も推薦を依頼されたということになりますし、実際そういう記事もあります。

共産県委「統一候補」目指す 知事選 総会で方針確認
2016/9/7 http://archive.is/1vJ6z #新潟日報

一部抜粋

現時点で唯一立候補を予定する前長岡市長の森民夫氏(67)から推薦依頼を受けているが、「市長としての原発問題に関する議会答弁を見る範囲では、推せる状況ではない」としている。



‖ 森民夫氏の過去の言動にこだわり、米山氏の言動は不問に付す不可解さ


こちらの記事を読んでみますと、共産党側の言い分もまた、どうにも不可解に映ります。共産党としては、森氏は原発問題にかんする過去の言動からして推せる状況ではないというわけですが、これは後日推薦することになる米山隆一氏もまた同じ立場というわけで、森氏を退ける理由付けとしては弱いからです。森氏の過去の発言(答弁)がどのような内容であるかは承知していませんが、想像するに、森氏も米山氏も甲乙つけがたしというのが真相だろうと思いますが。

まあ何と言いますか、今までの話をまとめてみますと、一部メディアやネットなどで語られる、森民夫(自民・公明)は悪党で、米山隆一(野党3党)は正義、そして労働組合(電力系)に頭の上がらない民進党はもっと悪いみたいな見立て・構図というのは、それはちょっと違うような気もします。

‖ 余談になりますが・・

米山隆一公式ブログ 米山隆一の10年先のために あの時原発は止まっていた-今こそ原発再稼働を!
2012/6/30 http://archive.is/FmYP0

一部抜粋

自らの誤りが判明した時、いったん立ち止まり、原因を精査して、誤りを正すことそれ自体は、極めて重要なことです。しかし、それが「一度でも間違いを犯したら、原因も精査せずに撤退する」ことになってしまったら、我々は、一切進歩することができなくなってしまいます。世の中を変える新たな取り組み、斬新な技術は、常に失敗のリスクを伴うからです。
 ギリシャの昔、プロメティウスから火をもらい、我々は文明を発展させてきました。その過程で多くの犠牲を生んできたけれど、くじけることなく創意工夫を続けてきたからこそ、我々の文明はここまで来ました。「原子の火」も、同じ火です。我々が使えないものであろうはずがありません。

 私は、今こそぜひ、日本中の英知を結集して、「安全な原子炉」を作り上げていただきたいと思います。



余談になりますが、こちらの米山氏のブログの記事。ちょうどこの箇所を読んだとき、私が所有しているとある原発関連の書籍の一文が頭に思い浮かびました。内容的に似てるということで、過去に読んだ本の記憶がよみがえってきたわけです。

タイトルなし その1
1990/8/25(初版)

 脱原発派は、核と人類は共存できない、原発はなくす以外にはない、ということを主張しています。
 われわれは、原子力の発見は人類の英知の所産だという立場です。人類は失敗を繰り返しながら、科学・技術を発展させてきました。同様にして、将来もまた、発展していくだろう、というのがわれわれの哲学、弁証法的唯物論の立場です。だから、人類はやがて科学・技術の発展によって安全な原発を実現させる方向にすすむだろう、したがって、それを研究することは当然であるといっています。
 ところが、脱原発派は、そんな原子炉などできない、という固定観念から一歩も出ません。核と人類は共存できないの一本槍です。・・



タイトルなし その2
1991/12/10 (初版)

 もう一つの問題は、原子力発電の現段階での到達点だけを見て、そこに欠陥があるからといって、核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性を全部否定してしまうというのは、短絡的な議論になるということです。

 なにしろ、原理が発見されてからまだ五〇年、人類の歴史からいえば、われわれは、核エネルギーを利用するほんの端緒、入り口の段階にあるわけですから、その入り口の段階で、将来の可能性を全部否定するわけにはゆかないのです。



米山氏に先立つ20年以上も前に、原子力と人類の高度な文明論を展開。そして、反原発・脱原発運動を一蹴。社会における諸問題は人類の英知、科学技術の進歩によって克服できるといった、ある種の理性主義・科学万能主義的な主張ですね。

しかし、書籍の出版日と引用箇所だけ掲載しておいて、肝心のタイトルが無い。これらは一体・・?

ここで記事をお読みいただいている読者の皆様は疑問に思われるかもわかりませんが、タイトルが無いからといって、決して私に問い合わせをしてはいけません。

もしご存じの方で、「これって〇〇ですよね?」なんてコメント欄に書かれても、私としては「知りませんw」としかお答えできませんのであしからず。

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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