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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その1 

今回の連載も本来であれば去年を予定していたのですが、今度こそやるぞという意気込みです。ホントですw

予定を入れて、ふいに気になる話題が入ってきたり、あるいは予定そのものを忘れてしまったりと、私の場合はだいたいそんな理由で遅れるのです。

‖ 久方ぶりの小泉節

小泉純一郎元総理の原発ゼロ。急にこのような話が世間を賑わせたのが、たしか2013年の秋ごろになります。

「核のゴミの置き場所がないじゃないか!」
「日本で処分場を作ろうとして穴を掘ったら温泉が出ますよ」
「今すぐ原発ゼロしか無い!」


政界引退から5年くらいになるでしょうか。久々にメディアを通じて小気味の良い「小泉節」が聞かれましたが、しかしその批判の対象が原発だというのだから世間の皆さんは余計に驚いたわけです。小泉さんは原発に賛成じゃなかったの?みたいに。

自民党一筋で総理大臣まで経験した人物が、なぜ2013年になって原発ゼロと言い出したのか?しかもなぜこのタイミングで・・?そのような小泉氏に対する疑問の声は、原発の賛否を超えた、ある種の国民共通の性質を帯びていたと思います。

しかし、なぜ2013年とかタイミングとかは、別に何ということはなかったのですね。真相は大手のマスコミが2013年になって小泉氏に注目したからあのような騒ぎになった。それ以外に特に意味は無いのです。

‖ 実は小泉氏の「転向」は3.11直後

実のところ、小泉氏は2013年どころか2011年、福島原発事故が起きた後、かなり早い段階から「原発ゼロ」に近いようなことを発言していたのです。

「原発の安全性過信」原子力政策で小泉純一郎元首相が自戒の弁/横須賀(神奈川県)
2011年5月28日 http://bit.ly/2kPGQ2n #カナロコ

一部抜粋

小泉純一郎元首相は28日、横須賀市内で特別講演し、福島第1原発事故に関連して「自民党政権時代も原発の安全性を信用して推進してきた。過ちがあったと思う」と自戒の弁を述べた。

・・

 小泉元首相は「原発は安全かといえば必ずしもそうではない」との認識を示し、今後の原子力政策については「これからはもう原発をさらに増やすのは無理。原発への依存度を下げ、自然エネルギーの開発促進をしていくべきだ」と持論を展開した。



小泉氏は、おそらく総理時代は原発の安全性は揺るぎないものと考えていたでしょう。科学万能、日本人はアメリカやソ連と違って優秀。そのような人物が原発事故を契機として、安全性の過信に過ちがあったことを認め、自戒の弁を述べたわけです。

もう原発を増やすのは無理で、依存度を下げて自然エネルギーを増やしていく。このような話は原発反対派からは評価されると言えるでしょうが、その反面、推進側から見ればとんでもない変節、裏切り行為に等しい。いわば「小泉は原発事故でおかしくなった」といったところでしょうか。とはいえ、小泉氏はもともと「永田町の変人」などと呼ばれてたそうですがw

‖ 小泉氏とCIPPS

同年の7月の話になりますが、国際問題の研究や政策提言を行うシンクタンク、国際公共政策研究センター(CIPPS)主催のシンポジウム、「震災後の日本経済を展望する」において、原発問題について小泉氏と原発と利害関係のある、名だたる財界の有力者によるディスカッションがありました。

国際公共政策研究センター シンポジウム「震災後の日本経済を展望する」の開催
2011/7/26 http://archive.is/wQDcq

一部抜粋

2011年7月26日(火)に「震災後の日本経済を展望する」と題したシンポジウムを、国際公共政策研究センター主催、三井不動産株式会社協賛にて日本橋三井ホールで開催しました。

・・

セッション2のパート2は「日本の活路をどのように切り開くべきか」と題し、元内閣総理大臣 小泉純一郎氏(CIPPS顧問)に今後の日本がいかにしてピンチをチャンスに変え、困難を乗り越えていけるかについてご講演いただき、その後パネリストの方々と議論しました。






小泉氏はこちらの会合の場においても、もはや原発を増やしていくのは無理であるとか、自民党でもそう簡単なことではない、減らしていくしか無いとか、そんなことを発言していたと思います。

小泉氏の発言に対して、司会の方が、「小泉さんがこんなこと言ってますけどw」と反論を促して、同席していた財界のメンバーや有識者は当然反対の意志を示し、小泉包囲網を敷いての応戦。実質的には小泉氏が1人で対峙するような感じでしょうか。

そして途中でトヨタ自動車相談役の奥田碩(おくだ・ひろし)氏が、会合の場としてあまり対決姿勢というか、そうした殺伐した空気感もまずいだろうと察したのか、「まあまあ」と仲介に入るような。

まあしかし、小泉氏もこんな会合でなかなか大それたことを言ったものだと思いました。何しろCIPPSというのは、もともと小泉氏の引退後の生活のために作られたと言われる団体で、小泉氏は顧問という立場(いわゆる天下りみたいな?)でしたからね。つまり、趣味の歌舞伎やオペラのチケット代を払ってくれるスポンサーを相手に批判するという、完全なアウェイの状況です。ちょっと私にはこんなことは出来ないですね。

今考えてみると、もしかすると先の「震災後の日本経済を展望する」は、財界として小泉氏に翻意を促すというか、反省の弁を述べさせる場であったように思います。5月の時点で小泉氏に転向の「疑い」が発覚したということは、おそらく推進側も察知していたはず。財界の領袖に諭されて、「あれは一時の気の迷いでした」と謝罪の意を示させて、「ピンチをチャンスに変えて原発を増やしていこう!」という小泉節に期待していたのではないかと思うのです。

‖ CIPPSと袂を分かつ

スポンサーの反発を受けつつも、小泉氏は独自に原発問題の研究を続けていきます。特にエイモリー・ロビンス「新しい火の創造」、映画「100,000年後の安全」、恩師である加藤寛氏の「日本再生最終勧告 ‐原発即時ゼロで未来を拓く」などの影響も受け、ますます脱原発、原発ゼロの主張を強めるようになっていったようです。

そして小泉氏は2013年8月、同床異夢の旅と言われたフィンランドの高レベル放射性廃棄物最終処分場のオンカロ視察(同行した原発・ゼネコンメーカー等は小泉氏の翻意を期待していた)を経て、2014年にはCIPPSの顧問の職を辞任。事実上、スポンサーとの関係が解消されました。

ちなみに、小泉氏の辞任の際に、先ほども登場した奥田氏から「事務所の部屋だけでも良いから使ってくれ」という話があって、小泉氏は現在でも来客用として奥田氏の部屋を利用しているようです。この辺はお互い大人の知恵というか配慮のような感じも伺えます。

‖ 小泉氏の転向は非常識?

2013年の小泉氏の原発ゼロが話題になった頃、政治評論家の浅田彰氏だったと思いますが、ある夕方のニュース番組で、「小泉さんは卑怯だと思いますよ、小泉さんに育てられた今の政治家がかわいそうじゃないですか」というようなことを仰っていました。

私は浅田氏の仰る意味がすぐには理解できずに一度考えたのですが、要するに、政治家として責任ある立場を経験した以上は、在任時の政策判断を墓場まで持って行く(筋を通す)べきだということなのでしょう。特に原発のように多方面において利害関係が大きく絡むような案件であれば、そのまま惰性に身を任せていたほうが小泉氏自身としても幸せだろうと。そうであれば、例えば同じ首相経験者である森喜朗氏などは筋が通っているとも言えるのでしょうが。

永田町の常識は世間の非常識とも言われますが、たしかにそういう意味で、やはり小泉純一郎という人物は「変人」という位置づけになるのでしょう。

その2につづく

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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