01// 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28. //03
 

冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

高速増殖炉もんじゅの廃炉 - 関連する記事を読んで思ったことをあれこれと - その1 

今回の記事は本来であれば昨年末を予定(こちらの記事の続きという意味で)してたのですが、OSの入れ替えや大掃除で遅れてしまいました。

高速増殖炉もんじゅ(福井県)の存廃については、水面下ではもんじゅの継続に期待する福井県や文科省、関連する研究・技術者などによるロビー活動も盛んであったようですが、昨年末で一応の決着がついた形(=廃炉)になりました。

同時期の話になりますが、もんじゅにかんする一連の報道をあれこれと集めるうちに、たまたま目を通した福井新聞の記事の一節から、私が原発・エネルギー問題を考える上で参考にしてきたいくつか書籍の記述を思い出しました。

‖ 技術的な問題と戦艦大和の艦長

もんじゅ廃炉方針を福井県に再説明 西川知事「廃炉を容認していない」
2016年12月21日 http://archive.is/goyxm #福井新聞

一部抜粋

政府はこの日の協議会で「もんじゅは技術的に問題があったのではなく、保全体制や人材育成、関係者の責任関係などマネジメントに問題があった」との見解を示した。



政府としては、もんじゅは技術的な問題というよりも人的・組織的な責任関係、マネジメントに問題があったという見解のようです。もんじゅが技術的にまったく問題がなかったかどうかはさておき、私は後者の「マネジメント」の問題という点が気になりました。

2011年の福島原発事故が起きて間もない頃だったと思いますが、中部大学の武田邦彦教授が、民放かインターネットの放送であったかは定かではありませんが、「原発のような巨大技術はその重要性から見て、それに携わる人は戦艦大和の艦長でなければならない」、「訓練された貴族のような運転員・技術者集団が腹をくくっていなければいけない」というような話をされていました。要するに、たとえ技術的に安全なものであっても、それに取り組むべき人や組織が腐敗していたら危険(=マネジメントの問題)であるという意味だったのだろうと思います。

当時の私は武田氏のお話をもっともだと思いましたが、同時に「それはちょっと違うのではないか?」とも考えました。

‖ 大和の艦長も三代は続かない

確かに、巨大技術に携わる人や組織がしっかりしていれば一定の安全性は保たれるかもしれませんが、一般的に人や組織というものは、その質を維持することが非常に難しい。つまり、人も組織も何らかの事情によって劣化(腐る)することも当然有り得る話であり、それは「名家三代続かず」ということわざにもあるとおりです。特に原子力の場合はその潜在的なリスクを考えれば、人や組織の質が永久に保たれなければ困るわけですが、そんなことはちょっと常識外ではないかと思います。

NHK取材班 いま、原子力を問う 「原発・推進か、撤退か」
1989/8 http://amzn.to/2kps7ew #nhk

一部抜粋(こちらは当時の討論番組を書籍化したもので、動画はこちらから視聴可能です)

犬養 - 先ほどから、人間の出来が、つまり教育が外国とは違うというお話がしきりに出ていて、それは日本での安全性の場合は、原子力発電に限らず、常にいわれることなんですけれども、これはいまの時点はあるいはそうかもしれないと思うんです。だけど、あまりそれに寄りかかるのも私は外から見てちょっと心配だなという気がします。航空機もそうですね。高度な機械は、高度になればなるほど、つまり、いろいろな安全設備がしてあるんだけれども、にもかかわらず事故が起こるということは、そこに人為的なミスが入ってきますでしょう。・・外からのテロとか内部からのテロも起こりえます。そういう心配があります。



こちらは、日本人はアメリカやソ連と違って優秀で、独自の原子力安全文化(セーフティー・カルチャー)を持っている、だから日本の原発(技術)は安全なのだと主張する原発推進派(このような話は福島事故を経た今でもありますが)に対し、中立役の立場から疑問を投げかけている場面なのですが、犬養氏の発言は率直かつ的を射たものであると思います。

その2につづく

関連記事
スポンサーサイト

カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

comment(0) | trackback -- | edit

page top

コメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top