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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その3 

‖ もちろん、小泉氏を積極的に評価した反対派もいる

もちろん、反対派が全て小泉氏を否定に回ったのかと言えば必ずしもそうではなくて、反対に高く評価をされた方もいました。例えば、高木仁三郎(原子力資料情報室 故人)先生の盟友で、原発反対運動に携わって20余年のキャリアを持つ、弁護士の河合弘之氏などがそうですね。

河合先生といえば、全国の原発の運転差止め訴訟や、ドキュメンタリー映画「日本と原発」、各種講演会・論文の執筆(当ブログでも河合先生の論文を参考資料としてよく使わせていただいています)等を通して、国民的な原発ゼロの機運を盛り上げるべく、多忙な毎日を過ごされています。

朝日新聞特別報道部 プロメテウスの罠 9
2015/3 http://bit.ly/2ll9Zmb

一部抜粋

 脱原発訴訟に取り組む弁護士の河合弘之(70)が演説でこういった。
 「いままで脱原発運動は私のような環境派か、脱原発専門家か、人権派か、左翼か、一部の限られた人たちだけでやってきた。それでは原発は止まらない。ぼくは20年間やってきたからそれを身に染みて感じている。保守・革新が力を合わせて脱原発する時代についになったんだ」



文藝春秋 2016年新年特別号 小泉純一郎独自録(常井健一)
2015年12月10日 http://bit.ly/2kPscbc

一部抜粋

 東電に対して刑事責任を追求してきた河合は、よく純一郎の講演行脚に同道し、満員のホールで聴衆に向かってこんなふうに唱えている。 
 「小泉さんが脱原発を言い出したことは歴史的に意義深い。今までの運動は左翼がかった人が多くて『共産党だ』、『アカだ』といわれた。我々、革新陣営、人権派、環境派だけじゃなくて、自民党、保守の人、しかも惜しまれつつやめた元総理が言うからより多くの人に本当だと信じてもらえる」



やはり河合先生も従来の原発反対派の弱点、あるいは限界のようなものを実感しており、そういう意味では小泉氏の転向は歓迎するべきであるというお考えのようです。従来とは違った視点、考え方を持った人で、かつ社会的な知名度や一定の影響力があればなおさらである。まあそんなところでしょうか。

しかし、河合先生は小泉氏が「保守の人」であるという認識のようですが、私は別にそうは思いません。首相時代から現在に至るまで、どうもこの方の人となりや発言からは、一般市民が小泉氏を特段「保守の政治家」として接していたとはちょっと考えにくいのです。

私としては、どちらかと言うと小泉氏は、「中道」のカテゴリーに属する人ではないのかな?と。まあこの辺りは、たとえ真ん中でも、「左から見たらみんな右翼なんだ」というような冗談めいた話もありますし、多分に感覚的な議論になるのでしょう。

それから、保守(右翼)と革新(左翼)が力を合わせるという話も、たしかに理屈としては理解できますが、所詮、明確な「右」とか「左」というのは、日本社会においてはどちらも少数派に違いありません。そういう意味では、たとえ両者がを手を取り合ってみせたところで、それ自体に何か特別な意味があるのかと言いますと、それはちょっと微妙な気もします。

話が少し脱線してしまいましたが、とにかく河合先生は小泉氏を絶賛しているということは確かです。

‖ 全ての原発反対派=左翼がかった人、ではもちろんない

とはいえ、やはり原発反対派は河合先生がおっしゃるところの「左翼がかった」思想をお持ちの方が多い。すなわち、私が過去に何度か述べてきたように、極端な「反米」であり、かつ「平和主義者」であり、あるいは「反経済」であったり・・。

断っておきますが、私が言いたいことは「原発反対派が全て左翼がかっている」というような意味ではないのです。

これは以前の、「反原発と脱原発の違い」と通じる話なのですが、私はあえて両者を区別した上で、「反原発=原理主義、ノイジー・マイノリティー(声の大きな少数派)」、「脱原発=柔軟戦略、サイレント・マジョリティー(声の小さな多数派)」というような定義付けをしています。

つまり、「左翼がかっている」タイプとは、先に挙げた「反原発」グループによく見られる傾向である、という意味です。この層は当然マイノリティーなので少数派ではありますが、とにかく声が大きな分、よく目立つので多数派に映る。そのようなイメージですね。だいたいこのタイプに当てはまる方が、原発問題に加えて「全ては繋がっている」として、ありとあらゆる話を「盛って」くる印象です。

私は以前から、このような「盛ってくる」行為を「余計な話」であると述べてきましたが、私と同様に、原発に反対でありながら、同時に原発反対論(運動)に対するその種の違和感をお持ちの方も少なくないのです。

西尾幹二 平和主義ではない脱原発 現代リスク文明論
2011/12 http://bit.ly/2kFPX5W

一部抜粋

 「反原発」を主張する『世界』掲載の論文や小出裕章氏とか広瀬隆氏とかの所論はどれも力をこめて何年にもわたり原発否定の科学的根拠を提示しつづけて来た人々の努力の結晶なので、その内容には説得力があり、事故が起こってしまった今、なにびとも簡単に反論できないリアリティがある。

・・

けれども一つだけ総じて反対派に共通していえるのは、大抵みな「平和主義者」だということである。



平智之 なぜ少数派に政治が動かされるのか?
2013/7 http://bit.ly/2kPorm8

一部抜粋

「原発ゼロ」を目指す人は決して少なくない。しかし、皆、さまざまな理念を持ち、いろいろな言葉を使う。「脱原発」、「反原発」、「卒原発」、……、原発反対が反米や反TPPにそのまま結びついている場合もある。こうした事態がさらに現実を難しいものにしている。
 原発反対を言う人々が、いくつもの陣営に分かれて、自らの正当性を主張している。いわば本家争いだ。それで本来は圧倒的な少数派である原発推進派に漁夫の利を与えてしまっている。・・
 実際、禁原発を主張する私自身が、脱原発を主張する方々から批判されることもあるのだ。脱原発を主張する方々の中には、反米の姿勢を貫く方もおられるが、私は反米ではない。

・・

反TPP、反消費税増税とセットでなければ脱原発を語る資格がないのだとすれば、原発推進の少数派の思う壺だろう。脱原発は同じでも、その他の政策のわずかなズレで一つになれない。



・・あるいは、反原発はすなわち、反米で、半農主義者でなければならないというのも原理主義だ。私は禁原発だが、反米ではないし、半農主義者でもない。
 しかし、現在の日本には、そうした原理主義の議論にしてしまいたがる傾向がある。



西尾氏と平先生の話を合わせると、原発反対派は底抜けな平和主義者であり、反米、反経済、反増税、反工業文明であったり・・。

つまり、彼らは良く言えば優しい(すぎる)人であり、悪く言えば理想主義者。どちらにしても一般社会では到底共有されそうにもない思想をお持ちの方が多い。そのような違和感は私も共有するところです。

この手の話では、他にも死刑反対であったり、反医療、大麻推進とか無農薬・有機栽培、捨て猫拾ってください・・とか、いろいろネタがあります。

やはり私も、私が定義するところの「反原発(=左翼がかった人たち)」のグループの「ノリ」にはどうにもついていけないなと、以前からしみじみそう思っているわけです。

‖ やはり「左翼がかった」反対派には、小泉氏の存在は都合が悪いのだろう

小泉氏の原発ゼロがニセモノであるという批判の根拠として、先の事例の通り、原発とは直接関連性のない話で「騙されるな~!」と警鐘を鳴らす論調が流行りましたが、私の印象ではこのような「場外乱闘」のような攻撃手段を仕掛ける方というのは、どうも「反原発」のグループに多いのではないかと、そのように考えています。

小泉氏のキャラクターは、明らかに私や諸先生方が定義する「反原発派」のイメージとは対極に位置する存在です。

小泉氏はどう考えても底抜けな平和主義者ではないですし、反米主義者でもない。よって、日米安保破棄や非武装中立、沖縄問題等とは接点がない。持論が「脱原発で経済成長」なので、経済成長には興味があるのでしょう。まあ捨て猫は知りませんが。

そういう意味では、小泉氏の存在はたとえ原発に反対であっても、いわゆる「反原発グループ」にとっては、原発問題に加え、+αとしてのある種の党派性や政治思想・ライフスタイル、そのようなものを広める際の障害にしかならない。つまり、そんな人に目立ってもらっては困る。知名度が高いならなおさらである・・。

小泉氏の原発ゼロ批判の背景には、そのような反対派の思惑もあったのではないのかと、そのように考えてます。

‖ 原子力ムラと反原発ムラ

福島原発事故の後、国内では原発推進のグループを指して「原子力ムラ」という言葉が流行りました。

その語源は諸説ありますが、「ムラ」の意味するところは、社会において数の上では決して多いとは言えない特定の利害関係者が、批判派や世論の影響をほとんど受けずに原子力政策を進めているという、ある種の村社会・排他的な構造を批判的に「ムラ」と表現しているわけです。

しかし、このような「ムラ」の存在は、きっと反対派のグループにもあるのだろうというのが私の印象ですね。まあ「反原発ムラ」みたいなものが、きっとあるのでしょう。

原発に反対であれば、とにかく「ホンモノの反対派はこうでなければならない」という特殊な思想を共有し、かつ排他性を持ち、攻撃的な気質でもある。数の上では少数派ではあるものの、それなりに声(影響力)の大きな人たちが同じ反対派の真偽を選別。そのような「ニセモノ狩り」の横行が、結果的に原発推進のアシストをしてしまっている。

こうじゃない反対派はニセモノだ!という、「ホンモノ・ニセモノの見分け方」みたいな話は、私の記憶では2012年くらいから流行りだした感じです。

しかし、このような傾向は今も根強いものがあるなと、私は今なお続く「狩り」の現場に出くわすたびに苦々しく思っているわけです。

その4につづく

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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