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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その4 

‖ 一般論と俗論

前回の冒頭部分での引用文(2つ)の話になりますが、たしかに河合先生がおっしゃるように、一般論としては原発反対派は左翼、共産党(もしくは社民党)である、というような見方が社会通念上は通用しているように思います。原発に少しでも批判的なことを言えば、「お前は社民か共産党か」みたいなリアクションをされる方は、何もネットに限った話ではないのでしょう。

しかし、一般論としては「反(脱)原発=社民党・共産党」であるとしても、これは歴史的な事実関係から見れば明らかな俗説であり、全くの事実誤認(今回はこちらの記事の続きという位置づけでもあります)であるということは一言述べておかなければならないと思います。

社民・共産の両党は、原発事故が発生して以来、「一貫して原発反対の老舗政党」をPRして、それが一般有権者からの再評価を得ているという側面もありますが、俗論を嫌う「冷やし狸庵」としては、記事の進行上、これら「老舗の虚像」についても触れておくべきだろうと考えます。

そのようなわけで、以下に社民党(旧社会党)、共産党が戦後の原子力政策・平和利用とどのように関わってきたのかについて、簡略化、要点を絞った形ではありますが、私なりにまとめてみたいと思います。今回の話題は詳しくやると、とうてい10回程度では収まらないので無理ですw

‖ 唯一反対の社民党(社会党)は、もともと原発推進政党

社民党は、例えば公式サイトなどを見てみると、「唯一、脱原子力の立場を明確にしている政党」であると公言していますが、私にはこれがどうにもよくわかりません。

そもそも、日本の原子力政策の要、言わば憲法としての位置づけに相当する「原子力基本法(1955)」は、社民党の前身・社会党の協力によって成立したものです。

こちらについては、「法案作成のために中曽根氏らが海外視察をして、毎晩ホテルでステテコ姿で缶詰になって喧々諤々の議論の末に・・」という有名な話がありますが、こちらの「ら」というのは、当然社会党の議員(松前重義・志村茂治氏)も含まれるという意味ですね。

実際に当時の国会議事録を調べてみると、社会党は原子力の平和利用を推進するという立場であったことは明白です。原子力が第三の火、第二の産業革命の導火線であるとか、日本が原子力平和利用のメッカになるべきであるとか、なかなか頼もしいことを仰っています。

原発問題に関心のある方であれば、経済学者の有沢広巳(ありさわ・ひろみ 1896-1988)氏の名前はご存知であるかと思います。有沢氏といえば、戦後の経済復興を石炭や鉄鋼に振り向ける「傾斜生産方式」の提唱者としても有名なので、原発とは関係なしに、「教科書に載ってる人だ!」という認識の方が正しいのかもしれませんが。

有沢氏は専門の経済の枠にとどまらず、政治・政策・外交等にも通じた、各界に名の通る大先生であり、かつ筋金入りの原発推進論者でもあり、90歳を過ぎてなお、原発推進の重鎮(日本原子力産業会議会長、現:日本原子力産業協会)として強い影響力を保っていました。

有沢氏といえば、1986年のチェルノブイリ事故が起きる少し前に、「日本の原発は十分に安全なので、<安全のための>投資はオーバーデザインである」という発言が当時の反対派の怒りを買ったという話があるのですが、そもそも先生を原子力の表舞台に推薦したのが社会党(1956 初代原子力委員の1人として有沢氏を推薦、リンク先は原子力委員会のPDFファイル)ということになります。

‖ 路線変更はおそらく70年代以降、しかし・・

社会党はもともと原発には前向きであり、それが批判的な路線に転換したのは1970年代に入ってからでしょうか。このあたりの背景としては、重化学工業の進展の副作用として、社会問題としての環境問題がクローズアップされ始めた時期であり、そこから原子力の負の側面が社会党等を支持する市民団体の側からも指摘されるというような、すなわち下からの要求が大きかったように思います。

とはいえ、社会党はそこから原発反対一色だったのかと言えば必ずしもそうではありませんでした。

例えば1979年のアメリカ・スリーマイル、1986年のソ連・チェルノブイリを契機とした、日本における「反(脱)原発ブーム」に際しても、福間知之議員の著書、「原子力は悪魔の手先か―原子力の是非を問う」において、原発に懐疑的な世論や社会党の政策を徹底批判しています。

ちなみにこちらの書籍は、原発推進の雑誌とされている「エネルギーフォーラム」紙の普及啓発賞(1990)受賞作品です。

福間氏も含めて、党内には原発推進の議員も少なくなかったのです。

‖ 連立政権と原発

90年代に入ると、94年の「自社さ(自民・社会・さきがけ)」による連立政権の発足の際に、当時の村山富市首相は、党の方針を原発反対から容認に路線を変更しました。表向きは反対と主張してきたものの、実際に政権を担う立場になると(原発反対は)政権運営上の障害になる。そのような判断だったのでしょうか。

そして村山首相の辞任、連立が解消されて下野した後に、再び反対に転じることになります。なんだか野党になると元気になるみたいなw

ちなみに、自社さ政権での政策変更の判断を下した村山氏ご本人は、2011年の原発事故を経て、当時の判断は間違いだったと反省の弁を述べられています。

2000年代はどうなのかと言えば、こちらも連立政権の話で、自民党麻生内閣→民主・社民・国民新党の、いわゆる3党連立(2009、鳩山内閣)です。ちなみに社会党は1996年に解党となり、以後、現在の社民党となっています。

この時の社民党も社会党時代と同様に原発容認に転じており、いわゆる「鳩山イニシアチブ」による原発を重視したCO2削減政策に乗っかる形となりました。

鳩山政権・民主党に問う 本当に原発「大推進」でいいのか
2010年04月19日 http://archive.is/ASEIy #aera 文教大学 人間科学部・臨床心理学科 太田和敬教授のサイトより

一部抜粋

 4月5日、消費者庁会見室。温暖化対策としての原発利用について問われた同党党首の福島瑞穂少子化担当相は、そう断言した。「脱原発」は党の方針であり、個人の信念でもある。

 だが、そのちょうど1週間後の閣議。福島氏は今度は「原発推進」を掲げた「地球温暖化対策基本法案」を了承した。最初は「反対」と言っていた原子力安全委員会の人事案にも署名した。ともに、連立維持を優先した行動だった。

 「ダブルスタンダードだと支持者から批判されています」

 社民党政策審議会事務局の野崎哲次長は、苦しい状況を説明する。



そして間もなく、3.11を迎えることになるわけですが、そのときは連立を解消していたので、例によって反対になっていたのでしたw

‖ 党としての自己反省がない

今回は社民党(社会党)と原発について、その歴史的な経緯について簡単に説明してきましたが、こうやってまとめてみますと、社民党が一貫して原発に反対してきたとか、唯一明確に反対している政党というような謳い文句は相当怪しいぞ、ということがおわかりいただけるかと思います。

もともとは原発推進からスタートして、反対なのか賛成なのか、そのスタンスは状況次第で変わっていく。それなのになぜか一貫して原発に反対してきたことになっている。

たしかに村山氏は、当時の政策判断の誤りを認めて謝罪をされていますが、それは党の要職を離れた個人の見解に過ぎません。個人ではなく組織、すなわち社民党(社会党)として、戦後の原子力政策とどのように向き合ってきたのかというような、言わば批判的な検証作業がおそらくなされていない。

政策が一貫せず、状況次第で変わるのであれば、今は反対と言ってもまた変わるのだろう。自らを省みる期間を置くこと無く、安易に反対や一貫性をアピールする政党であればなおさらのことである。私はそのように考えています。

その5につづく

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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