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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その5 

‖ 一貫してきっぱりと

一貫して原発に反対してきたと主張する政党は、日本共産党(共産党)もそうですね。特に共産党は、「我が党は何事も一貫して・・」、「きっぱりと・・」みたいな言葉の使い回しを好む傾向です。

「日本共産党は一貫して原発に反対してきました!」

「我々は、日本が無謀な原子力開発に着手することには、最初からきっぱり反対してきました!」


共産党の議員や関係者の方々は、例えば街頭演説や各種集会等でしきりにこのようなことを仰っていますが、実際問題として、それはそのとおりだと思われている方は多いのだろうと思います。

しかし、例えば志位委員長などがどんなに「一貫してきっぱりと~」等と主張されても、あるいはそれに同調される方が何人いようとも、それは全然違うだろうと、私としてもきっぱりと言わざるをえないわけですが。

‖ 日本共産党の基本的な政治姿勢

本題に入る前に、いったい共産党はどのような政治姿勢なのか?まずはこの辺を簡単に説明しておく必要があると思います。

共産党は皆さん御存知のとおり、現在の社会体制の基本的な枠組みと言える資本主義から脱却し、社会主義・共産主義を目指す前衛政党(革命のための先導的な集団)という立場です。

共産党としては、当然、アメリカに代表される自由主義・資本主義的な世界観とは考え方が異なります。したがって、アメリカを含め、その価値観を共有する諸国とは一線を画す(批判の対象)というのが基本路線です。

一昔前の共産党は、アメリカを代表とした資本主義陣営を「帝国主義・戦争勢力」と位置づけ、その反面、ソ連(ソ同盟)を代表とする社会主義勢力を「平和勢力」であるとする価値観を有していたのです。この辺りは、いわゆる「逆コース」の時代の影響も多分にあるのでしょうが、すなわち、「資本主義(アメリカ+同盟国)は悪」であり、「社会主義(ソ連)は善」であるという二分法的な思考です。

しかし、当時の社会主義の模範国とされたソ連(あるいは中国もそうですが)が、だんだん模範的ではなくなっていった事情などもあり、現在では社会主義を目指す政党は日本共産党だけ(=自主独立路線)ということになっています。

ただし、共産党は、先の「資本主義=悪、社会主義=善」という基本的な認識そのものを改めたわけではありませんでした。

そのため、事実上の模範国が存在しないとされる現在においても、共産党として批判の対象の1番手に相当するのは、やはりアメリカです。そしてその同盟国である日本を「アメリカ言いなり」、「傀儡政権」などと形容するのは、やはり先の二分法の影響が色濃く残っているからなのでしょう。

‖ 日本共産党の特異な原子力観と、古くて新しい話

ところで、「アメリカは悪である」という定義が成り立つのであれば、アメリカやその同盟国が行う政策もまた悪である。そのような見方もまた可能になります。

だとすれば、当然、その裏返しとして、「社会主義国が行う政策は善である」ということにもなり、そこから「社会主義国による原子力平和利用は善である」という主張が出てきても全くおかしなことではないわけです。

実際、1940、50年代の日本共産党は、「原子力の平和利用は社会主義でしか出来ない」というような論説を、初代書記長の徳田球一氏などが主導して、政党機関紙の赤旗などで盛んに喧伝していたのです。

当時の資料を取り寄せて見てみると、平和利用の一例として、1億年使えるコンロであるとか、砂漠を森に変えるとか、原子力をあらゆる動力源に利用して、生活必需品が有り余るほど作れるとか、なかなか夢のある話でいっぱいです。そして、世界初の民生用の原子力発電所・オブニンスク(ソ連・1954)の臨界に際して、「社会主義の勝利」等と絶賛しています。

先ほどの「原子力の平和利用は社会主義で」という話は1940年代の話なので、こちらの記述について、「それはいくらなんでも古いだろう」、「当時は誰もが原子力の可能性を信じていたはず」というような感想を持たれた方もいらっしゃるかとは思います。

たしかに、原子力に対する当時の世相(原子力=万能・無限の可能性)と、共産党の夢のある話には、それほど大きな違いはないとも言えなくもない。そうであれば、今度は「一貫して~」という謳い文句とは矛盾をきたすことになるのですが、それはさておきです。

しかし、この70年前の「古い」考え方は、それは原子力黎明期に誰もが見た夢であったとして、共産党としてはとうの昔に捨て去った話・・というわけではないのです。

実際に共産党の機関紙と位置づけられる「赤旗」や「前衛」などの資料を、40年50年代から、60年、70年・・と、順を追って資料を見ていっても、時代に即した言葉や言い回しには変化は見られるとしても、私が見る限りにおいては「社会主義でこそ」という本質的な部分には変化が見られないのです。

後述になりますが、おそらくそれは福島原発事故を経た今も変わっていないのでしょう。

‖ 社会主義でこその平和利用と反・反(脱)原発

共産党としては、原子力は本来良いものであり、それを悪くしているのが利益優先の資本主義、軍事利用を優先させる帝国主義、すなわちアメリカにある。原子力の正しい利用を目指して「社会主義でこその原子力平和利用」を掲げてきたわけですから、当然、「原発そのもの」を否定するわけにはいかない。

日本における1970年代~80年代後半(もしくは90年代前半)にかけての「反(脱)原発ブーム」というのは、例えば当時の代表的な論客であった高木仁三郎先生にしても、別に「資本家の原発はけしからん!」などと言っていたわけではありませんでした。批判の対象は色付きではない原発そのものであって、「原発はけしからん!」という話です。

しかし、共産党にとっては「原発はけしからん!」では困るのです。なにしろ原発を悪くしているのは資本主義であり、悪いアメリカなのですから、原因を取り除けば原発は必ずうまくいくのですから。

よって、「反原発」や「脱原発」などと主張する高木先生や広瀬隆氏など、当時の原発反対の代表的な論客は、共産党にとっては総じて「反科学主義」、あるいは「ニセ『左翼』暴力集団」、「トロツキスト」等といった位置づけ(ニセ左翼・トロツキストは、共産党が敵対勢力に向けて好んで使う蔑称)でした。80年代前後の反(脱)原発ブームの頃の共産党は、原発反対に反対の「反・反(脱)原発」というスタンスでした。

‖ 原発を諦める=科学の否定?

もちろん、共産党は少なくとも1940年代から続いているであろう、「社会主義でこその原子力平和利用」という考え方は、原発事故を経た現在でも基本的には変わっていないと私は見ています。

佐野眞一 津波と原発
2011/6 http://bit.ly/2lkGT3g

一部抜粋

 今回の大津波と過去の大津波の一番の違いは、原発事故が起きたことです。山下さんは原発についてどう思われますか。

「僕は原発を全面的には否定しないんですよ。だって、将来の日本のエネルギー問題を考えれば、何が何でもいけないと言うわけにはいかない。それは防潮堤をもっと高くしろという短絡的な意見と同じでね。こういう事故が起きると、ほら見たことか、やはり原発はダメじゃないかという意見が必ず出てくるが、それもダメですよ」

原発事故については日共の大幹部らしい公式的見解が出てくると思っていたが、これは意外な意見だった。



こちらの山下(文男)氏は、元共産党文化部長という肩書で、なんでも「共創協定」などに関わった等と同書には書かれているのですが、どうも私はこの辺のことはサッパリでwとにかく山下氏が大幹部であったことは間違いないということで。

それにしても、「ノンフィクションの巨人」とまで言われていた佐野眞一氏らしからぬ感想です。山下氏の受け答えは共産党出身者としてはそれほど意外な話ではないのですから。これは決して、窮地(津波)から自衛隊員に助けられて考え方が変わった(同書で山下氏は自衛隊を容認するとも述べている)からであるとか、そのような話ではないのです。

佐野氏も共産党と原子力についての抜き差しならぬ関係を事前に知っていたら、もっと面白そうな話も聞けたかもわかりませんでした。しかし山下氏は、取材から間もなく亡くなってしまいました。

共同通信 原発と国家 吉井英勝共産党衆議院議員
2011年11月08日 http://archive.is/rIDHO #共同通信

一部抜粋

―原発と人類は共存できないという発想か。
 「決め付けはしない。人間が管理できる原発があり得るか。高レベル廃棄物の消滅処理を含め、基礎研究は続けるべきだ。科学を否定はしない」



原発事故後に、事前に国会質問で原子炉の冷却機能についての質問をしていたことで再評価された吉井英勝氏。

その吉井氏にしても、原発を否定することは科学の否定という認識で、「原発ゼロ」政党の党員(議員)としてはどうにも歯切れの悪い、奥歯に物が挟まったような受け答えに映ります。

私は吉井氏のお話から3つ4つ・・と疑問が出てきますが、こちらの話は今回は割愛させていただきます。

RE:日本共産党の原子力政策に関する質問です(日本共産党中央委員会)
2014/3/29 http://bit.ly/2laKM9V

メールありがとうございました。
 そもそも原子力エネルギーは、人類にとって“第二の火”といわれるほど巨大なエネルギーで、その発見は人類史的な意義がありました。しかし、原子力の巨大なエネルギーの安全な利用のためには、エネルギーとともに生まれる強烈な放射線を制御するための技術の確立が不可欠でした。
 ところが、原子力エネルギーの利用は、不幸な歴史をたどりました。核兵器と潜水艦の動力炉という形で、最初に軍事に利用されてしまいました。現在の原発は、この潜水艦の動力炉の技術を使ったものです。「安全は二の次、三の次」という軍事利用から入り込んだ狭い枠組みの技術を利用した現在の原発の延長線上に、「より安全性の高い原発」などありえません。
 同時に、現在の原発からの撤退後に、この狭い枠組みから一旦抜け出し、初心に返って安全最優先で基礎研究を進めれば、将来にどんな新しい展開が起こりうるのかは、いまから予想するわけにはゆかないことです。「原子力の平和利用は幻想である」とか「人類と核は共存できない」と断定できるほど、人類は原子力についての研究を突き詰めてはいないと考えています。
 ですから、原子力エネルギーの平和的利用についての将来の人類の選択肢を、今から縛るようなことはしないというのが私たちの立場です。そこで新たな知見が得られれば、現在の原発の廃炉やすでに作られた核のゴミの処分にも役立つかもしれません。今の段階で可能とか不可能と決めつけるべきではないと考えています。



こちらは私の知人が共産党に宛てた質問(私が監修)で、「普通に原発ゼロですか?と聞いてもゼロと答えるから」として、共産党が聞かれたら嫌がるであろうキーワードを交えたものの返答です。

もちろん、嫌がると言っても別に悪口を書いたのではなくて、「即時ゼロであれば、当然将来も原発を活用することはないということでしょうか?」、あるいは「原発事故を経て、一般論として『核と人類は共存できない』とか『原子力の平和利用は幻想だ』という話がよく聞かれますがどう思いますか?」といった世間話程度のものです。

そしてこちらの返答からも、私はいろんな意味で疑問に思う点がたくさん出てきて困ってしまったのですが、こちらも今回は割愛させていただきます。

先ほどの吉井英勝氏への記者の質問もそうなのですが、どうにも共産党は、原発や原子力の平和利用が相当に困難である・諦めるという話を振られると、「科学を否定しない」というようなニュアンスで返すのですね。

世の中には安全性やコスト等の問題でお蔵入りになった技術や資源は無数にあるにもかかわらず、共産党は、ことに原子力の問題になると、その言葉の端々から妙なこだわりが垣間見えるのです。その反面、化石燃料(特に石炭)はあっさりとゼロと主張していたりするのですが。

結局これを否定してしまうと、長年の「社会主義でこその平和利用」の前提が崩れてしまうからでしょうか?そうであるとすれば、それは党としてのアイデンティティーの問題ということになりますか。でも、そこまでして平和利用にこだわる理由が、私としては今の段階では見えてこないのです。

‖ どう考えても共産党も一貫してないのだが・・

少なくとも私の認識では、共産党が一貫して原発に反対してきたという話は明らかな誤りであると思います。

共産党としては、日本の原子力平和利用路線を「戦争勢力のアメリカと一緒にやるからダメ」というようなことは主張していたことは確かです。共産党が1955年の原子力基本法に反対したのも、そのような理由によるものです。

福島原発事故の直後に、不破哲三氏(元衆議院議員・共産党議長)が、「共産党は一貫して原発に反対してきた」と仰っていますが、これでは片手落ちで、党として「アメリカ由来の原発(技術)」、あるいは「資本主義の原発」に一貫して反対してきましたというのであれば、一応話としては通らなくもないです。もちろん、このような説明を一般の方がどう受け止めるかは別ですが。

今回も相当簡略化した内容ですので、例えば共産党がウラン資源の効率化のために高速増殖炉に期待を寄せていたことや、固有安全炉の開発の推進(これらの話だけでも先のメールの内容と随分と矛盾してくるのですが・・)、あるいは核のゴミは太陽に捨てようとか、アメリカとの関係を解消して自由な原子力開発を進める(日米原子力協定の破棄)など、そのような話はとても紹介しきれません。

しかし不思議なことに、共産党は原発事故後はなぜか社民党と同様に、原発反対の元祖・総本山のような位置づけになっている。

科学的社会主義を標榜する政党が、反科学主義であり、ニセ左翼であるはずの「反(脱)原発」団体とデモや集会などに興じて、「直ちに原発ゼロ!」などと言って盛り上がっている。

それでは共産党は「反科学」、あるいは「ニセ左翼」の政党に衣替えしたのかと言えば、どうもそうではないらしい。

とにかく、明らかに一貫していないのに一貫したことになっているという意味では、原子力に対する認識や党としての歴史的な経緯の違いはあるとしても、共産党もまた社民党と同じであるということになると思います。

その6につづく

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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