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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

反原発・ニセモノ狩りの記録10 - 小泉純一郎元総理 - その6 

‖ 日本を覆う「原発反対神話」のウソ

・・とまあこのような感じで、一般論としては「反(脱)原発=社民党・共産党」であるとしても、歴史的な事実関係から見ればそれは明らかな誤りである。そういうことですね。

社民党や共産党による、「原発反対の老舗」などという武勇伝は、私から見れば嘘っぱちもいいところです。

福島の原発事故で「安全神話」が崩壊したなんて言われてますけど、今度は誰々が一貫して反対してきたという「反対神話」が作られてしまっている。これは良くないですよね。

そのようなわけで、例えば原発事故を機に原発反対の立場になったとしても、だからといって左翼政党に傾倒する必要性は全くないのです。

あるいは右とか保守を自認される方にしても、右翼団体・一水会の鈴木邦男氏が仰るところの、左翼への対抗意識としての原発推進(鈴木氏は原発反対なのですが、いわゆる右派の特徴をそのように分析)みたいな、そのような行動に走る必要もないと思います。

‖ 「左翼」と「左翼がかった人」の親和性

ただし、以前からブログの記事でも取り上げている河合弘之先生も仰るように、原発反対派は「左翼がかった人」が多いことは確かでしょう。つまり、先の「底抜けの平和主義で反米主義、半農的な原理主義者云々・・」といった話ですね。

このような人たちは、たとえ既存の「左翼政党」の熱心な支持者・党員ではないとしても、そのような政党の方向性と考え方が一致する部分も多いのでしょう。

彼らの関係を端的に表せば、「左翼政党≒左翼がかった人」みたいな感じでしょうか。原発反対派の中の少数派(ノイジー・マイノリティー)は特にそのような印象なので、一般的には「原発反対派は左翼だ、共産党(社民党)だ」と思われても仕方がない面もあるのでしょうね。

反対派の主導的な人たちは、確かに左翼がかっているので、どうしても話の流れが左に寄ってしまう。原発に加えて余計な話を盛ってしまいがちになる。

そのため、原発問題という、利害関係が複雑に絡み合っているために、平時においては惰性力(推進)が作用し、かつ一歩誤れば国難に発展しかねないようなきわどい話であっても、結局は少数・零細政党の守備範囲として定着してしまう。これでは原発は無くならないでしょうね。

‖ 小泉氏の「原発ゼロ宣言」の意義

そのような意味において、小泉氏(久しぶりに名前が出てきましたw)の「原発ゼロ」宣言は大変意義のあるものであったと、私は考えています。小泉氏のように、キャラクターとして右でも左でもない方が「原発はやめるべきだ」と語ってくださることで、本来原発問題は誰が考えても良いことなのだと、そのような当たり前のことを再認識させてくれるからです。

小泉氏の原発ゼロ運動は、かれこれ6年近くになりますが、私のような者がどうこう言うのも恐縮ではあるのですが、小泉氏は大変真面目に活動しているなという印象です。

原発事故直後から現在に至るまで、南は九州、北は北海道(今年の3月11日には札幌で講演を予定)と、様々な地域に足を運び、例の小泉節による原発ゼロの辻説法を続けています。

講演会では単に同じことを話すのではなくて、事前に足を運ぶ地域の経済や産業、偉人や文化などの情報を頭に入れておき、講演の際の余談として活用する。小泉氏は和歌や俳句などにも通じているので、特にそのような話をする機会も多いですね。

特に小泉氏は、本題以上に余談を重要視している(余談が印象に残ることが大事なのだそうです)ようですが、確かに講演の際の随所に見られる、常に聴衆の気を引くための気配りや、言葉の引き出しの使い方。この辺りの上手さは、現役を退いたとはいえ、さすがに稀代の政治家という感じがします。

小泉氏は原発関連で気になった本があれば、早急に30冊ほど取り寄せて、「これ良いよ!」なんて知人に配ることもあるそうです。たしか本のタイトルは「九電と原発」だったと記憶していますが。

ご自身が推している、再生可能エネルギー。例えば太陽光の落成式であれば、たとえごく少規模のものであっても参加して講演を行う。このようなことは、何事においても華やかな場所に慣れ親しんだ総理経験者としては異例のことかもしれません。

あるいは安倍首相に「原発ゼロ」を直談判して無視されるとか。こんなことをしたら安倍首相は苦笑いするだけで、同時に周囲からの失笑も買うでしょうし、傍から見ると結構恥ずかしいですw到底私には出来ないことです。

とにかく、思い立ったら即行動に移そうとする姿勢は、現役時代と変わらないなと思います。

‖ 小泉氏の「ホンモノ・ニセモノ」論争には与しない

原発問題において小泉氏が登場して以来、反対派陣営では「小泉はホンモノかニセモノか?」という論争に発展したわけですが、私はそもそも、ホンモノ・ニセモノといったことには全く関心がないのですね。

ただし、これは以前の記事でも述べてきたことではありますが、私は人や組織の完全性を信用していません。人は過ちを犯すものであり、組織は必ず腐敗する。そのため、元来不完全である人間と巨大技術の組み合わせというのは、相性としてはあまり良いものではないのだろうという話です。

そういう意味では、小泉氏が講演の際に必ず仰る、「過ちは改むるに憚ることなかれ(論語)」、「人生の本舞台は常に将来にあり(尾崎行雄)」、「老人だって大志を抱いても良い」という言葉には、ある種の人間らしさを感じることは確かですね。

それにくらべて、過去の歴史を捏造してまで一貫性や無謬性(=むびゅうせい・誤りがないこと)を強調する人や組織というものは、私は基本的に警戒します。

‖ 小泉氏に「ぶっ壊してほしい」ものと、これまでの活動に対する敬意

先ほども述べたとおりではありますが、私が小泉氏の登場に意義を見出している理由は、その存在が、本来、誰もが原発に反対と言っても良いという、ごく当たり前の感覚を再認識してもらうためには不可欠であるということに尽きます。どうしても原発問題は、話の方向性が「左」に流れがちになり、一般人にはハードルが高くなってしまう傾向があるのでなおさらです。

語弊があるかもわかりませんが、ある意味で「反原発をぶっこわす」ことで、原発問題をもっと開かれたものにする。こういう方向に進まなければ原発はなかなかやめられないだろうなと、私は小泉氏が注目されるようになった2013年ころから、そのようなことを考えているわけです。

もっとも、小泉氏もご自身が原発に反対して、同じ反対派から「小泉はニセモノだ」と批判にさらされることは想定外だったように思います。反対活動をして推進派から批判されるならともかく、同時に反対派からも石を投げられるわけですから。やはりこのような状況は、ご本人にとってはあまり気分が良いものではないでしょう。

小泉氏は原発に反対するようになって、改めて原発に反対することの難しさを実感されたのではないでしょうか。この問題には、単なる「推進・反対」では表せない、政治思想や党派性、イデオロギー等が多分に絡んでくるわけですから。何か一言言えば、「ニセモノだ、騙されるな!」ですからね。

ですので、もし小泉氏も反対運動に疲れたと思われたのなら、私はその時点で休まれても良いと思います。

自民党の政治家として楽な老後を選ばなかった、事故が起きても過去にほっかむりしていたほうが確実に充実していたであろうという意味で、私はこれまでの小泉氏の「非常識な行動」を高く評価しています。

- おわり -

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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