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冷やし狸庵

原発・エネルギー問題を静かに考えるブログ。

民進党は原発ゼロの目標時期にこだわらないほうが良い(補足) 

‖ 原発ゼロの工程表以前の問題

前回、私は民進党は原発ゼロの期間を議論するよりも工程表を作るのが先だという話をしましたが、実はこれすらまだ早いとも考えています。

この辺の話は、先の連載である「『原発反対に右も左もない』とはどういうことなのかについて考えてみる」でも述べたことではありますが、やはり最近の民進党の左傾化路線、社会党化は原発ゼロ社会の実現にとっては由々しき事態だと考えています。

こちらの話は今まで散々述べてきたところなので省略しますが、要するに、原発をやめたければ左翼路線ではダメである、ということですね。すなわち、河合弘之先生が仰るところの、今まで原発に反対してきたのは環境活動家や左翼がかった人たちばかりで、このようなノリの延長線上には、原発ゼロ社会の実現の見込みは無いということです。

もちろんこの話は、世間の少数派に過ぎない「右と左」が共闘することではなくて、本来の圧倒的多数派である中間(中道)的なスタンスの人たちに耐え得る議論の進め方でなければならないのでしょう。

もし民進党が、最近の野党共闘の煽りを受けて社会党的な政党に転身するとすれば、結局は原発ゼロといった主張の類は、一部の左翼的な人たちやその支持者の間で共有される「なかよしクラブ」の域を出ないでしょう。原発ネタで何か起きるたびに、例によって路上で歌って踊って大騒ぎ。もちろん、問題は一向に解決しない。一種のガス抜きですね。

‖ 政治家とデモ・日常と非日常

衆議院議員 長島昭久 「独立宣言」―真の保守をめざして
2017/4/10 http://archive.is/Ox0GG

 「党内ガバナンス」という魔法の言葉によって、一致結束して「アベ政治を許さない!」と叫ぶことを求められ、・・行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ。そこには熟議も、建設的な提案もない。与野党の妥協も政策調整の余地もない。



私の最近のマイブームは、先の長島昭久氏の離党会見での一節です。長島氏の仰るように、いやしくも国会議員という立場でありながら、デモ隊に参加して騒いで盛り上がるというのは、これはちょっと常識から外れてるのではないかと思います。

平智之 なぜ少数派に政治が動かされるのか?
2013/7/6 http://bit.ly/2rbS6qh

一部抜粋

  大飯原発が再稼働されるというときに、「現場に来てほしい!」と言われたが、私はそれも行かなかった。では私がその間何をしていたか。「まだ止められるのではないか」と、現地の所長や経産省やエネルギー庁の官僚などに電話をしまくっていた。
 もちろん、再稼働を止められなかったのだから、そのことで偉そうなことを言う気はない。現地に行って、デモ隊に加わって、さらに拡声器でも持てば、それはそれでいいパフォーマンスにはなり、「俺たちの仲間だ」と思われるだろう。選挙だけを考えるのであれば、その方が賢い方法かもしれないが、それが国会議員本来の姿ではないと思う。



長島氏の民進党批判のついでに、以前紹介したことのある平智之先生の著作の一節も思い出しました。

私は以前から、政治家がデモに参加することは好ましいことではないと考えていましたが、これは平先生の影響も大きいですね。引用したついでにまた今度読み直してみようかと思います。それから、こちらの著作はブログの読者の方にもオススメです。

私は当ブログで度々「デモ」を批判してきましたし、できればこのようなところには参加するべきではないと考えます。

デモというのは、良くも悪くも「非日常」の空間です。日常の風景、すなわち日常的なルーチンワークをこなす人たち。例えばスーツ姿のビジネスパーソンや学生さん、家事に勤しむ主婦の皆さんなどをよそに、路上でなにやらわけのわからない気勢を上げ、怒鳴り散らし、ライブパフォーマンスに精を出す。・・ついでにカンパもちょうだいなとw

デモの弊害の一つとしては、このような現実離れした環境に慣れ親しんでしまうことです。つまり、デモの環境こそが多数派であると錯覚してしまうおそれもあるでしょうね。本来は少数派に過ぎないデモの常識が世間の常識。これは以前の、ネットに入り浸ると世間が右翼と左翼しか存在しないと錯覚しがちになるとか、そういう話と似ているともいえます。

そういう意味では、政治家とデモの組み合わせは最悪かもしれませんね。

政治というのは、突き詰めれば日常を差配する仕事とも言えるでしょうし、それに携わる人が非日常の空間に入り浸っていると、リアルな日常に対する感覚が鈍ります。非日常の住人、ある意味、デモを生業とする活動家であればそれでもいいのでしょうが、政治家が活動家になってもらっては困ります。

というわけで、民進党は原発ゼロの工程表を作る前段階として、まずはとりあえずまともな中道政党を目指すこと。そしてその第一歩としてデモを卒業すること。こんなところでしょうか。

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カテゴリ: 冷やしたぬき放談

テーマ: 政治・経済・社会問題なんでも  ジャンル: 政治・経済

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